こんにちは、こうのです。
百聞は一見にしかず、まずはこの写真を見てください。
軒瓦に十字架の模様が入っています。
この特徴的な軒瓦は黒田孝高(通称:官兵衛 出家後:如水)の紋瓦といわれています。黒田孝高はキリシタン宗に帰依し、十字の紋瓦を使っていました。いわゆる「キリシタン大名」のひとりです。
黒田孝高は竹中重治(通称:半兵衛)と並んで、秀吉の軍師として活躍した武将で、しかももともとは自分の城だった姫路城を秀吉の中国攻めの際に献上してるんですね。本能寺の変以降、秀吉が権力を握ることができたのは、黒田孝高の功績がかなり大きいんです。
秀吉はその後、九州征伐の際にバテレン追放令(1587年)を出しているので、ほんとならキリスト教にまつわるものはダメなんですけど、それでもこの十字紋の軒瓦が除去されなかったのは、黒田家が特例的に許されたのか、あるいはうまく隠してたのか(じっさいすごくわかりにくいところにあります)、この1枚だけ残った軒瓦は姫路城のミステリーのひとつですね。
ぼくは策士である黒田孝高がうまく隠してたんじゃないかなあと思っています。
ただ、現地にある案内板には黒田家のことはいっさい書いてないんですよね。だから公式には認められてないみたいです。
この軒瓦は「にの門」にあります。「はの門」をくぐったところにちょっと広場があって、そこに上にある立て看板があります。
角度的にはこんな感じです。ぜひ姫路城に行かれた際にはチェックしてくださいね。
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