この南西側は高台なので、往時は南方の国府台城や南西方向の江戸城方面がよく見渡せたことでしょう。
画像中央やや右側が櫓台跡の竹内啓墓碑
結構な斜度があり、深い谷を削ってできたことがよくわかります。
この南西側は高台なので、往時は南方の国府台城や南西方向の江戸城方面がよく見渡せたことでしょう。
曲輪と考えたほうが良いのでしょうか。他の場所から比べてかなり低く窪んでいるのが気になります。
松戸駅南側の高架から見た城址(右側の森)。この高架を東へ降りると千葉大園芸学部西門に至ります。
かつての堀切・登城口かと思われます。
討幕挙兵をしたものの捕縛され、江戸への護送の途中の松戸宿で処刑されてしまったようです。
登城口脇の小高い突出部はかつての櫓台跡だったそうで、現在は幕末の志士・竹内啓の墓があります。
恐らく当時の土塁跡だと思います。この西側に窪地があって、曲輪か堀の跡かと思われます。
僅かではありますが、窪んでいる部分があり、空堀の跡と推測されます。
車一台がようやく通り抜けられる幅の道ですが、恐らく堀切の跡と思われます。
邸内からは江戸川越しに富士山も見えるそうです。
画像中央の小高い森が相模台城一帯です。戸定邸から北北東に600〜700m離れた松戸中央公園と聖徳大学・千葉地検・千葉地裁・相模台公園一帯が城址と思われます。松戸城と同じくらいの面積ですね。
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