佐賀城
佐賀城

[佐賀県][肥前] 佐賀県佐賀市城内2-18-1


  • 平均評価:★★★★☆ 3.55(--位)
  • 見学時間:1時間9分(--位)
  • 攻城人数:1446(113位)

万部島と六地蔵塔

万部島と六地蔵塔
平五郎

万部島を北東から南西へ望む。
名前の由来は龍造寺隆信の曽祖父である龍造寺家兼が法華経百万部を読誦し法躰となった際に経典をこの地に納めたことに由来する。『城下大曲輪内屋敷町(元文五年/1740年)』によると萬部嶋と記されており今と同じく東を正面としている。
家兼の時代には本家である村中龍造寺家の村中城(現在の佐賀西高校一帯)や分家である水ヶ江龍造寺家の水ヶ江城(現在の赤松小学校一帯)からも遠く離れた小さな島だった。佐嘉城および城下の整備が行われた後も長らく島だったようだが『承応佐嘉城廻乃絵図(承応三年/1654年)』の時点で向陽軒のある島と一体化していることが確認できる。
現在では石塔側に入り口が設けられているが『御社参絵図』の万部島の項にある挿絵図によると往時は東面中央に唐破風様の破風のついた門が構えられておりその両翼に瑞垣が付けられていた。
境内中央には拝殿があったようで、その奥には中央に英彦山、南側(写真左側)に山王社、北側(写真右側)に東照宮がありその斜め奥に稲荷社が祀られていた。稲荷社は現在でも往時と同じ場所に存在している。
境内奥の北側と南側に2基の六地蔵塔があり南側のものが天文二年(1533年)、北側のものが天文四年(1535年)の記銘を持ち龍造寺家兼所縁のものといわれている。

   

この写真をいろんなキーワードで分類してみましょう。


撮影場所

地図アプリで見る

平五郎さんの当日の行程

佐賀城のほかの写真

すべてを表示

平五郎さんのほかの写真

すべてを表示

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

全国 御城印 大図鑑

マイナーな城の御城印も多く紹介されており、情報量がすごいです。この本だけでも御城印を集めた気分を味わえてしまいます。
御城印のデザインの由来など解説も充実しているので、御城印を集めていない人も楽しめます。
城の写真には提供した団員さんの名前も記載され、攻城団のみんなで作りあげた感が詰まっていて嬉しくなりました。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る