久居陣屋跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
久居陣屋跡(高通児童公園)
久居陣屋と城下町
久居の歴史は、津藩初代藩主藤堂高虎の孫藤堂高通(たかみち)によって野辺野(のべの)と呼ばれる高台の野原に建設された城下町に始まります。
寛文9年(1669)に幕府から津藩の分家・城主格大名として認められた高通は久居藩を開き、寛文11年(1671)に入府すると永久鎮居の戦いを込めて「久居」と名付けました。久居藩は初代藩主高遠が5万石、2代高堅(たかかた)からは5万3千石となり、以後16代高邦(たかくに)まで約200年続き(明治4年(1871)の廃藩置県布告により久居藩は消滅)、久居藩4代・5代・7代・12代藩主は、宗家津藩を継いでいます。
久居陣屋(久居城、久居館の別称)の中心「御殿」(現在の久居中学校運動場中央付近)と、その北から東にかけて広がる武家屋敷(久居西鷹跡町・久居東鷹跡町)約200戸は溝で囲まれ、大手門(久居郵便局付近)と裏御門の2ヶ所で町屋(本町・ニノ町・旅篭町・寺町・幸町・万町)約500戸と繋いでいました。
公園と久居の歴史
高遠児童公園はかつての久居陣屋の一角にあり、公園内には久居誕生(高遠入府)250年を記念した「御殿山の記念碑」(大正10年建)、軽便鉄道開通に貢献した玉井丈次郎の顕彰碑(昭和3年建)、本村と久居町の合併記念碑(昭和8年建)・久居市の市章を掲げる青年像などがあり、久居の歴史に包まれた御殿山として、また桜の名所として、市民に親しまれています。津市教育委員会