千賀地氏城に設置されている案内板の内容を紹介します。
千賀地城跡
藤堂藩伊賀上野城代家老藤堂采女(うねめ)正の生誕地と伝えられる。この城は藤堂采女正の父・藤原則直の居城であった。千賀地と称するのは地名であろう。慶長十三年(1608)、藤堂高虎について伊賀、伊勢に入った藤堂采女正の禄高は三千五百石であり、予野には千二百五十石の知行地があって、江戸末期まで上予野村(上出、前出等)には三十余名の被官(家来) がこの城を護っていた。
平成二十一年
花垣歷史研究会
千賀地城跡
藤堂藩伊賀上野城代家老・藤堂采女(うねめ)正の生誕地と伝えられる。この城は藤堂采女正の父・藤堂則直の居城であった。千賀地と称するのは地名であろう。慶長十三年(1608)、藤堂高虎について伊賀、伊勢に入った藤堂采女正の禄高は三千五百石であり、予野には千二百五十石の知行地があって、江戸末期まで上予野村(上出、前出等)には三十余名の被官(家来)がこの城を護っていた。平成二十一年 花垣歴史研究会