機種名 | Apple iPhone 14 Pro |
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ISO | 80 |
F値 | 2.2 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | 1/99 |
レンズ焦点距離 | 2.2 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、強制発光モード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/99 |
画像方向 | 水平(標準) |
山吹城跡登山口(やまぶきじょうあととざんぐち)
ここから少し登った場所が山吹城(やまぶきじょう)の大手(おおて)(入り口、正面)にあたり、銀山支配(ぎんざんしはい)の拠点(きょてん)であった休(やすみ)役所の跡(あと)があり、大きな石垣(いしがき)が残されています。まわりには焔硝蔵(えんしょうぐら)、下屋敷(しもやしき)、山吹八幡社(はちまんしゃ)、千京(せんきょう)、魚店(うおだな)、上市場(うえいちば)という地名や、戦国(せんごく)時代に創建(そうけん)された大満寺(だいまんじ)跡、大龍寺(だいりゅうじ)跡があります。
頂上(ちょうじょう)からは、北に日本海、東に三瓶山(さんべさん)、仙ノ山(せんのやま)、南に大江高山(おおえたかやま)、矢滝(やたき)・矢筈城山(やはずじょうざん)などを見ることができます。
山吹城は戦国時代に石見(いわみ)銀山を支配(しはい)するために築(きず)かれた山城(やまじろ)です。標高414mの要害山(ようがいさん)は独立(どくりつ)した山で、四方とも急な斜面(しゃめん)でかこまれる地形は軍事的にすぐれ、また銀鉱山(ぎんこうざん)の仙ノ山と銀山川をはさんで向かい合い、銀山支配に最適(さいてき)な位置にあるといえます。
城は周防国(すおうのくに)(現在(げんざい)の山口県)の戦国大名であった大内(おおうち)氏によって築かれたといわれ、その後激(はげ)しい銀山の争奪(そうだつ)戦が続き、永禄(えいろく)5年(1562)には毛利(もうり)氏が支配しました。江戸(えど)時代になると初代銀山奉行(ぶぎょう)大久保長安(おおくぼながやす)は休役所を奉行所として使い、山吹城を普請(ふしん)(城の改修(かいしゅう))したことや、吹屋(ふきや)(銀製錬所(せいれんしょ))を置いたことが記録からわかります。その後、奉行所は大森へ移転(いてん)して代官所となりました。
以前は山門右手前に、山吹城城門という標柱があったようだが今はない。傍にある説明板には、龍昌寺で1604年に新築と推定とあり、現時点では移築門とはみなされていない模様。
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