浜田城
浜田城

[三重県][伊勢] 三重県四日市市鵜の森1


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.70(--位)
  • 見学時間:21分(--位)
  • 攻城人数:177(595位)

浜田城跡の案内板

浜田城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

国指定重要文化財(工芸品)十六間四方白星兜鉢
昭和30年2月2日指定
四日市市指定記念物(史跡)浜田城跡
昭和30年3月30日指定
 十六間四方白星兜鉢は、田原藤太秀郷にゆかりのあるものとして奉納されたと言われている。現在は鵜森神社で社宝として保存されているが、鉢は16枚の鉄板を矧ぎ合わせて半球状にかたどり、その四方には薄い鍍銀板を被せた形跡がみられる。
 かつて保管箱には「松平相模守 栗田右衛門尉寄進 万治二年一月吉日」と銘があり、また、袱紗の端には「因幡国住人 馬淵三郎」という縫文字もあったと言われている。
 鎌倉時代の特色が強く表されている作品である。
 浜田城は、室町時代の文明2年(1470)に田原孫太郎景信の三男田原美作守忠秀が築いたものである。その後、藤綱、元綱らがこの地を領したが、安土桃山時代の天正3年(1575)に織田信長の家臣滝川一益に攻められ落城したという。昭和56年3月31日
四日市市教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

浜田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る