羽黒城
羽黒城

[愛知県][尾張] 愛知県犬山市羽黒


  • 平均評価:★★★☆☆ 2.83(--位)
  • 見学時間:26分(--位)
  • 攻城人数:235(425位)

羽黒城跡の案内板

羽黒城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。案内板は羽黒城址にむかう途中の入り口付近にあります。

羽黒城跡
 羽黒城は、建仁元年(一二〇一年)梶原景親(梶原景時の孫)によって築城されたといわれる。景親十七代の末孫梶原茂助景義は、織田信長に仕え羽黒村三千石の領主となったが、天正一〇年(一五八二年)本能寺の変で信長に殉じ、梶原家は絶えた。
 天正一二年(一五八四年)小牧山合戦の時、秀吉はこの城を修復させ、堀尾茂助(金助の父)や、母方の法秀院が梶原家の出生と伝えられる山内猪右衛門(一豊)等に守らせたが、焼けて持ち廃城となった。
 現在地は、羽黒城の中核的な部分があったと考えられ、前方後円墳である羽黒城古墳の前方部を利用したものと推定される。なお、この古墳は、古墳時代末期のものと思われる。犬山市教育委員会

また、NHK大河ドラマ「功名が辻」の放送にあわせて設置された案内板もあります。

山内一豊ゆかりの地
羽黒城跡
一豊は、家康軍に焼かれた羽黒城を修復
秀吉と家康が戦った一五八四年小牧・長久手の戦いで羽黒城は消失した。
秀吉軍の武将として参戦した一豊は、母親の出生地をなんとかしたいという思いから、羽黒城を修復し、羽黒地区を守った。犬山市
犬山市観光協会
NHK大河ドラマ「功名が辻」放送中
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

羽黒城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

全国 御城印 大図鑑

マイナーな城の御城印も多く紹介されており、情報量がすごいです。この本だけでも御城印を集めた気分を味わえてしまいます。
御城印のデザインの由来など解説も充実しているので、御城印を集めていない人も楽しめます。
城の写真には提供した団員さんの名前も記載され、攻城団のみんなで作りあげた感が詰まっていて嬉しくなりました。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る