羽黒城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。案内板は羽黒城址にむかう途中の入り口付近にあります。
羽黒城跡
羽黒城は、建仁元年(一二〇一年)梶原景親(梶原景時の孫)によって築城されたといわれる。景親十七代の末孫梶原茂助景義は、織田信長に仕え羽黒村三千石の領主となったが、天正一〇年(一五八二年)本能寺の変で信長に殉じ、梶原家は絶えた。
天正一二年(一五八四年)小牧山合戦の時、秀吉はこの城を修復させ、堀尾茂助(金助の父)や、母方の法秀院が梶原家の出生と伝えられる山内猪右衛門(一豊)等に守らせたが、焼けて持ち廃城となった。
現在地は、羽黒城の中核的な部分があったと考えられ、前方後円墳である羽黒城古墳の前方部を利用したものと推定される。なお、この古墳は、古墳時代末期のものと思われる。犬山市教育委員会
また、NHK大河ドラマ「功名が辻」の放送にあわせて設置された案内板もあります。
山内一豊ゆかりの地羽黒城跡
一豊は、家康軍に焼かれた羽黒城を修復
秀吉と家康が戦った一五八四年小牧・長久手の戦いで羽黒城は消失した。
秀吉軍の武将として参戦した一豊は、母親の出生地をなんとかしたいという思いから、羽黒城を修復し、羽黒地区を守った。犬山市
犬山市観光協会
NHK大河ドラマ「功名が辻」放送中