霧山城
霧山城

[三重県][伊勢] 三重県津市美杉町上多気


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.35(--位)
  • 見学時間:1時間32分(--位)
  • 攻城人数:380(303位)

霧山城の案内板

霧山城に設置されている案内板の内容を紹介します。

国指定史跡
多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡
管理団体
津市
時代
南北朝~戦国時代
平成18年7月28日指定

 南北朝から戦国時代、この多気の地は伊勢国司であり大名であった北畠氏の本拠地でした。その中心であったのが、多気のほぼ中央に位置する北畠氏館跡と詰城及びその背後の山頂にある霧山城跡からなる多気北畠氏城館跡です。
 北畠氏館跡は、北畠神社境内を中心に西を山裾、それ以外を川で囲まれた場所にあります。館跡内で行われた学術調査の結果、15世紀末~16世紀初頭には大規模な造成が行われ、中世城館では日本最古となる南北2列の石垣が設けられ、土器からは京都文化との繋がりが明らかになっています。
 また、北畠氏館庭園は曲水池泉の鑑賞式庭園で、戦国時代の庭園として非常に著名なものであり、庭園には、「米」字形をする園池と立石による枯山水からなります。また、館跡の裏山には詰城があります。
 霧山城跡は、館跡から比高差約240mの山頂に位置します。一部16世紀代の改修を受けているようですが、その構造から館跡詰城も含めていずれも14~15世紀代の築城とされ、館跡と一体の遺跡と考えられています。津市教育委員会
   

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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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