峯城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
史跡 峯城跡
昭和四四年三月ニ八日 三重県史跡指定
峯城は、安楽川と八島川にはさまれた標高八五メートル程度の丘陵上に位置する山城で、正平年間(一三四六~七〇)に関盛忠の五男峯政実が築城したと伝えられる。以後峯氏六代の居城であったが、天正二年(一五七四)、峯八郎四郎が伊勢長島で討死したため峯氏は滅亡した。その後は岡本宗憲が城主になったとされるが、天正十一年(一五八三)羽柴秀吉の北伊勢侵攻、翌十二年小牧長久手の戦いの前哨戦により二度の争奪戦が繰り広げられた、天正十八年(一五九〇)岡本宗憲が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。
中心郭の北・西・東側には高い土塁が廻り、一段高い土壇は天守台と伝えられる。伝天守台は石積の痕跡が見られ周辺には瓦が散布していることから、石垣を持ち瓦葺きの建物が存在したものと考えられる。中心郭の北にはいわゆる虎口も見られ、室町末期から安土桃山時代にかけての城郭の姿が良好に遺されており、中世城郭から近世城郭への過渡期の状況がうかがえる全国的にも希少な例である。所在地 亀山市川崎町殿町四ニ九五番地外十七筆
平成十二年三月
三重県教育委員会
亀山市教育委員会