長久手城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
市史跡 長久手合戦史跡 長久手城趾(ながくてじょうし)
長久手城は、中世末期、長久手村を領有(りょうゆう)した加藤太郎右衛門忠景(かとうたろううえもんただかげ)(1543~84)の居城(きょじょう)です。
忠景は、16世紀の中頃、前領主斎藤(さいとう)氏の古城を修築(しゅうちく)して入城しその後、近隣の地侍(じざむらい)らと親交を深め、姻戚(いんせき)を結びました。天正12年(1584)小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いの時には、家康(いえやす)に従った義弟(ぎてい)岩崎城主(いわさきじょうしゅ)丹羽氏次(にわうじつぐ)の留守を預かって奮戦しましたが池田隊(いけだたい)の多勢に敗れ、城兵(じょうへい)230余名もろともに戦死しました。城は後に民家になり、荒れ果てましたが、文化6年(1809)忠景子孫の尾張藩士(おわりはんし)が当地を訪れ、宅跡の観音堂(かんのんどう)脇に石標を立て、供養しました。長久手古戦場国史跡指定 長久手市教育委員会