緒川城址に設置されている案内板の内容を紹介します。
東浦町指定史跡緒川城址(おがわじょうし)
初代緒川城主水野貞守(さだもり)が文明年間(1469~1486年)に築城して以来、約130年間水野氏の居城でした。慶長11年(1606)、最後の緒川城主水野分長(わけなが)が三河国新城(しんしろ)1万石に移封(いほう)となり、緒川城は廃城となりました。
緒川城は、海岸沿いの平地を裾野にもつ低い山の中腹に築かれ、城下町(じょうかまち)と一帯となった平山(ひらやま)城でした。城跡の周囲は、三方が山地形で、東側は急な崖(がけ)になっています。緒川城に関する史料として、江戸時代初期に描かれた「緒川村古城絵図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)があります。絵図には、土塁(土を積み上げて築いた城壁)と堀に囲まれた大小の曲輪(くるわ)(郭)が描かれています。中央から南の一段と大きい曲輪が城の中核をなす主曲輪で、東西83m・南北95mほどの方形状です。北の曲輪群は家臣(かしん)の屋敷地で、その一画は、分長の時代に居城とされ「高藪(たかやぶ)城」と呼ばれました。
いまこの地域は住宅地になっており、土塁の一部が残るのみとなっています。字名(あざめい)は古城(ふじろ)・羽城(はじょ)・屋敷三区(やしきさんく)に相当します。東浦町教育委員会