松ヶ島城
松ヶ島城

[三重県][伊勢] 三重県松阪市松ヶ島町城之腰


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.44(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:187(464位)

松ヶ島城跡の案内板

松ヶ島城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

三重県指定史跡
松ケ島(まつがしま)城跡
所在地
松阪市松ヶ島町字城ノ腰
指定
昭和三十一年十二月三日
面積
二八七平方メートル
 松ケ島はかつては保曽久美(ほそくみ)(細汲、細首とも書く)といい、参宮古道に沿い、三渡(みわたり)川の河口を控えた海陸交通の要衝であった。 天正八年(一五八〇)、織田信雄(おだのぶお)(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸(たまる)城(渡会郡玉城町)からこの地に移し、松ケ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。その後、信雄の家臣津川義冬(つがわよしふゆ)、滝川雄利(たきがわかつとし)を経て、同十二年、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の部将蒲生氏郷(がもううじさと)が十二万石の大名として入城した。 ところが、氏郷は四五百森(よいほのもり)に着目して築城し、新城下松坂に移り、本城下の町人や社寺はすべて強制移住させられて、松ケ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。 古図や検地帳には天主跡・堀之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。 ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられる。

 昭和六十二年三月三十日
松阪市教育委員会

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

松ヶ島城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

全国 御城印 大図鑑

まずは316城461符の御城印に圧倒されます。眺めているだけでも楽しいですが、文字や家紋に関しての解説があるので「御城印」について理解が深まります。沼田城のページは眺めているだけで楽しいですが、東北の名城を集めた、奥羽御城印セットのページは圧倒的です。
御城印収集にさらに火が付きました。

「このレビューを読んだあなた。共に御城印沼にハマってみよう!」(笑)。

藤式部卿さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る