中世の城主遠山氏の氏神で始祖加藤景廉(かげかど)を祀る。明治5年(1872)に山麓の現在地へ移転した。入り口に鳥居が建ち、中段には別当寺である薬師寺、最奥部に拝殿と本殿、八幡櫓があった。棟札から永正5年(1508)には神社があったことが分かっている。
中世の城主遠山氏の氏神で始祖加藤景廉(かげかど)を祀る。明治5年(1872)に山麓の現在地へ移転した。入り口に鳥居が建ち、中段には別当寺である薬師寺、最奥部に拝殿と本殿、八幡櫓があった。棟札から永正5年(1508)には神社があったことが分かっている。
穴は門の支柱のためでしょうか?
写真右側へ歩をすすめると出丸駐車場となります。
岩村城の石垣も素晴らしいです。
この石垣の上には二重の納戸櫓が建っていました。
出丸は駐車場となっています。
本丸の北東面に雛壇状に築かれた六段の見事な石垣である。元は絵図のように最上部のみの高石垣であったが、崩落を防ぐために前面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果、現在の姿となった。
岩村城の石垣も壮大です。さすが三大山城。
登城口から見て、二重櫓台の右手に石段と六段壁があります。
ここを通り過ぎると霧ヶ井という井戸があります。
写真右側の空堀を畳橋という木橋でつないでいました。
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