御館跡である御館公園に立てられている案内板の内容を紹介します。
御館(おたて)
御館は、小田原城主北条氏康(ほうじょううじやす)に敗れ、越後に逃れた 関東管領上杉憲政(うえすぎのりまさ)のために上杉謙信(うえすぎけんしん)公が造営した館で、後に憲政から関東管領職を継いだ謙信公が 政庁としても使用したといわれています。
御館は、古い地籍図から二重の堀に囲まれた東西二五〇メートル・南北三〇〇メートルの大規模な館であったと考えられています。東京ドームの一・六倍の大きさでした。中心の郭(くるわ)は、四方を堀で囲まれた東西一二〇メートル・南北一五〇メートルの規模で、ここ御館公園の六倍の大きさであったとされています。発掘調査が行われた四〇数年前に、越後の中世史を語る貴重な遺跡であることから、中心部分が「御館」の名を冠した公園として残されました。
少し足を伸ばしてJR線路まで出てみてください。右手の独立した山が春日山城です。
御館跡の発掘調査では、鉛や青銅製の銃弾のほか、 武具や刀剣などが見つかったそうです。
このときに見つかった歪んだ銃弾は、御館の乱で実際に発射されたものともいわれ、攻防の様子を現代に伝えています。