井伊谷城
井伊谷城

[静岡県][遠江] 静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.16(--位)
  • 見学時間:41分(--位)
  • 攻城人数:699(229位)

「井伊城跡と城山」の案内板

井伊谷城に設置されている案内板の内容を紹介します。

 井伊谷城跡と城山
 
 井伊城はこの城山の南麓にあり、本丸、二の丸、三の丸に分れ井伊家の居城であった。
 延元元年(一三三七年)遠江介井伊道政が後醍醐天皇の皇子宗良親王をお迎えしてより、元中一一年(一三八五年)八月十日宗良親王この地で薨去し給うまで約五十年、親王は京都と鎌倉の中間であるこの井伊城を本拠として、駿河、甲斐、信濃、越中、越後、上野の国々を転線された。

 平時にこの城山の御所の丸に居られ

    夕暮れは湊もそことしらすげの
      入海かけてかすむ松原

    はるばると朝みつしおの湊船
     こぎ出るかたは猶かすみつつ

            の御歌がのこされている。

 この城山の一段高い所が御所丸跡で井の宮石陵があり、宮入御表門跡、からめ手門跡等がある。又東山麓には宗良親王を祭る二宮神社、親王の御念持仏を祭る足切観音堂がある。 

井伊城跡と城山
 井伊城はこの城山の南麓にあり、本丸、二の丸、三の丸に分かれ井伊家の居城であった。
 延元元年(一三三七年)遠江介井伊道政が後醍醐天皇の皇子宗良親王をお迎えしてより、元中二年(一三八五年)八月十日宗良親王がこの地で薨去し給うまで約五十年、親王は京都と鎌倉の中間であるこの井伊城を本拠として、駿河、甲斐、信濃、越中、越後、上野の国々を転戦された。

 平時にこの城山の御所の丸に居られ

  夕暮れは湊もそことしらすげの
    入海かけてかすむ松原
  はるばると朝みつしおの湊船

   こぎ出るかたは猶かすみつつ

     の御歌がのこされている。

 この城山の一段高い所が御所丸跡で井の宮石陵があり、宮入御表門跡、からめ手門跡等がある。又東山麓には宗良親王を祭る二宮神社、親王の御念持仏を祭る足切観音堂がある。

案内板にある「延元元年(一三三七年)」ですが、延元元年は1336年なのでまちがいだと思われます。
   

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