外郭から主郭方面に降りていく小路の左手に、鬱蒼と木々が生い茂る中で、陽の当たる小さな削平地があります。これも何らかの曲輪でしょうか。
京成大佐倉駅から城跡をめざして南東方向に歩を進めて行くと、まず外郭の西側の土塁にぶち当たります。手前の道が堀底である事も良く解ります。
外郭西側の堀底道を南に進むと、外郭内部に入れる横路が現れます。ここは入城したいと言う気持ちを抑え、外郭部二ヶ所の虎口の観察の為に、更に歩を南に進めました。
外郭西側の虎口周辺は宅地化していますが、虎口の雰囲気は良く解ります。主郭部周辺の遺構については案内板が建っているのですが、外郭部にはこれが全く無いので少し残念です。
外郭の南側には櫓台を思わせる張り出しがあり、その東隣に虎口があるようです。外側から見ると、私有地のテニスコートに阻まれ良く観察が出来ませんでした。
耕作地となっている外郭の中から観察。中央の木陰になっている辺りに虎口らしきものが見えます。
朽ちた案内板を拾い上げてみると、「本佐倉城址入口 本佐倉城址保□会」とかろうじて読めました。主郭部に比べ、外郭部の案内板は何とも哀愁が感じられます。
外郭から主郭方面に降りていく小路の左手に、鬱蒼と木々が生い茂る中で、陽の当たる小さな削平地があります。これも何らかの曲輪でしょうか。
主郭部と水田を挟んだ向かい側にある建造物。千葉氏の家紋なども掲げており、一見資料館?とも思われますが、実際は災害時の避難場所であるとの事です。しかし、後背の山林は、向根古谷と呼ばれる出丸跡となります。
根古谷の館には、本佐倉城の鳥瞰図や案内板が掲示されています。こうして案内板と重ねて城趾を眺めると、城郭の構造が理解しやすいです。
城趾周辺が低湿地に囲まれていた情景が偲ばれます。やはり土の城には蓮池が映える。
この案内板の左隣で見切れているのがパンフレットの配布台です。このパンフレットは非常に良い資料です。
東山は、それ自体が本佐倉城の北側を守る土塁の様でもある東西に細長い郭です。整備されているので、城趾北方が良く見渡せました。
城趾から水田を挟んだ南側にある、かつての出城跡の空堀です。こちらも空堀は良く残っています。
折れのある空堀に挟まれた虎口の様子は良く解ります。郭内は畑地となっています。
建造物はありませんが、城門の風格が今にも伝わります。
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