念願叶いやっと生で見れました!感動しました!
因みに赤い幟旗は、謙信の元に終結した諸侯を記録した「関東幕注文」という書物に城主・由来成頻の幕紋【五のかゝりの丸の内の十方】という記述を元に作成しているそうです。
この辺りは城西側を守る最前線です。 南側の土塁(右側)と北側の土塁(左側)は筋違いになり、うねった上り坂を進まなくてはなりません。
駐車場上段にありパンフにもお見逃しなく!と、記載あります。 パンフを持たない多くの方が、駐車場から大手側の東方面に向かっていました。 見附出丸&筋違い虎口と、素晴らしい遺構が西側にもあるので駐車場からまず西方面に足を向けて攻城するのがいいと思います。
駐車場から東に2分程歩いた総合案内板近くにあります。
城西側が万一攻め落とされた時は、桟道を壊して敵の進行を防ごうとしたと考えられるそうです。
この堀切は他の堀切と違い、堀底に石を敷き通路として利用していました。 上方には北側からの敵の侵入を防ぐ木柵があったそうです。 また、堀を掘った際の土や石を西側(左側)に土塁状に盛り上げ通路内を敵兵から見えないようにしていたそうです。
堀切の断面の形は、上部が「逆ハの字」、下部が「箱状凹」に掘られ簡単に攻め上られないようになっています。 当時は堀底から右側上辺の高さは3.4m、左側は7.4mあったそうです。
今まで通ってきた通路の正面に右側の石垣があり、その先が見えないようになっています。 いきなり石垣が出現し感動しました。
物見台下は岩肌が露出していますが、岩盤を削って堀切になっています。 往時は石垣の上に柵や櫓があり固い守りになっていたそうです。 麓のガイダンスに再現ジオラマがあります。
この景色に、城に余り興味のない友人も「古代ローマの遺跡みたいだ!」と、喜んでくれました。
金山城一番の大きな堀切です。幅15m、深さ15m、長さ45mです。 月ノ池は、上下2段の石垣で最上部以外は戦国時代の石垣をそのまま残して整備されています。
高石垣だけでも圧倒されますが、当時は櫓門があったそうです。通路も右に曲線を描き正面がみえません。こちらも当時の再現ジオラマがあります。
念願叶いやっと生で見れました!感動しました! 因みに赤い幟旗は、謙信の元に終結した諸侯を記録した「関東幕注文」という書物に城主・由来成頻の幕紋【五のかゝりの丸の内の十方】という記述を元に作成しているそうです。
15×16.5mのほぼ円形の大きな池です。山の上でこんな大きな池が有ることに驚きです。 右側には石組の井戸も見えます。
100名城スタンプ設置場所の休憩所の横にあります。スタンプは山頂近くのここにしかありません。
石の大きい面を奥に、小さい面を表にして積んだゴボウ積みです。 ここから左側(北東)には、曲輪の角を削ってひづみを造り「鬼門避」となっているそうですが、分かりませんでした。
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