松倉城に設置されている案内板の内容を紹介します。
富山県指定文化財 記念物(昭和四〇年一月一日指定)
史跡松倉城跡(まつくらじょうあと)
魚津市の南部に位置する城山と呼ばれる丘陵上に築かれた山城(やまじろ)です。城の構造は、南北方向に広がる尾根上を空堀(からぼり)で区切り、複数の曲輪(郭)によって構成された「連郭式(れんかくしき)山城」となっており、本丸部分は、県の史蹟に指定されています。
本丸の奥、南端の曲輪である八幡堂(はちまんどう)から、最も標高の高い平の峰(だいらのみね、標高四三〇m)までの直線距離は約六五〇mあり、尾根上には多数の平坦面が設けられています。また、松倉城の北西側にある大見城平(おおみじょうだいら)には、多くの平坦面や石積みの門があり、かつて城下町があった鹿熊(かくま)地区へ至る山道も残っています。さらに、本丸(標高四一三m・面積三六〇〇m2)から見渡す眺望(ちょうぼう)は格別で、西に富山市方面、北に魚津市内を望むことができます。
築城年代は定かではありませんが、南北朝時代の一四世紀前半と推定されています。その後、幾多の武将がこの城をめぐって争い、戦国時代末期の一六世紀末にいたる約二五〇年間の長期にわたって、新川郡(にいかわぐん)の要(かなめ)として、政治的・軍事的に重要な役割を果たしてきました。また、この城の発展には、背後に控える松倉金山(まつくらきんざん)が関係していたと考えられています。平成二二年九月 魚津市教育委員会