一関城
一関城

[岩手県][陸奥] 岩手県一関市城内


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.36(--位)
  • 見学時間:35分(--位)
  • 攻城人数:101(992位)

案内板(釣山駐車場)

案内板(釣山駐車場)
hiro.E

田村家居館跡
 天和(てんな)2年(1682)、田村建顕(たむらたけあき)が仙台藩の支藩一関藩3万石の大名として入部しました。その際に築造された居館は、古来の館や堀は使わず城の構えに見えないようにと江戸幕府から指示があり、釣山の北東側に簡単な堀と白壁を巡らせた形としました。内部は、西側が田村家の生活する場所として、東側が一関藩の政治を行う場所として主に使用されていました。なお、この場所は居館の西端にあたります。
 明治4年(1871)、一関県が成立した際には県庁として利用されましたが、それまであった建物は取り壊されたり払い下げられたりしていきました。明治9年(1876)に岩手県に編入されてからは、裁判所や郡役所などが置かれました。現在は、盛岡地方裁判所一関支部などがあり、また一関市城内として地名が残っています。

   

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カメラ情報

機種名Canon Canon EOS M2
ISO100
F値14.0
ホワイトバランスオート
シャッタースピード
レンズ焦点距離23.0 mm
フラッシュフラッシュ未発光、強制発光モード
露出モード自動露出
露出時間1/200
画像方向

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戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

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