久保田城本丸跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
久保田城本丸跡
久保田城が気づかれた神明山(しんめいやま)は、三つの高地からなる標高約四〇メートル程の起伏のある台地で、別名三森山(みつもりやま)とも呼ばれていた。
築城は慶長八年(一六〇三)五月から着工され、翌九年八月に完成した。
本丸は、最も高い所を削平や土盛をし、平らにして造られた。東西六五間(約一一七メートル)、南北一二〇間(約二一五メートル)のほぼ長方形を呈し、周囲には高さ四~六間半(約七・三メートル~一一・八メートル)の土塁を構築している。
本丸の建造物には、表門から入った正面に玄関が置かれ、政庁である政務所が設けられており、池を配した中央部には藩主の住居である本丸御殿があった。また、土塁の上を多聞長屋(たもんながや)と板塀で囲み、要所には隅櫓を置き、北西隅には兵具庫を兼ねた御隅櫓(おすみやぐら)を設けた。西南隅の土塁上には櫓座敷と呼ばれた書院風二階建ての「御出(おだ)し書院(しょいん)」が造られた。
出入口は周囲に表門(一ノ門)、裏門、埋門(うずみもん)、帯曲輪門(おびぐるわもん)の四門に、御隅櫓に通じる切戸口があった。平成六年十二月 秋田市