お知らせ
機種名 | Apple iPhone 14 Pro |
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ISO | 32 |
F値 | 2.8 |
ホワイトバランス | オート |
シャッタースピード | |
レンズ焦点距離 | 9.0 mm |
フラッシュ | フラッシュ未発光、強制発光モード |
露出モード | 自動露出 |
露出時間 | 1/341 |
画像方向 | 水平(標準) |
宜野座(ぎのざ)ヌ古島遺跡(ふるじまいせき)
宜野座(ぎのざ)ヌ古島遺跡(ふるじまいせき)は、1980年(ねん)の遺跡分布調査(いせきぶんぷちょうさ)で確認(かくにん)された周知(しゅうち)の遺跡(いせき)です。本遺跡(ほんいせき)は別称(べっしょう))「大川(ウッカー)グシク」とも呼(よ)ばれ、宜野座村(ぎのざそん)で唯一(ゆいいつ)の石積(いしづみ)を伴(ともな)うグシクであり、周辺(しゅうへん)には古(ふる)い集落(しゅうらく)の様相(ようそう)が残(のこ)され、「宜野座(ぎのざ)ヌル殿内(ドゥンチ)」を中心(ちゅうしん)に「大川按司屋敷跡(ウッカーあじやしきあと)」、「根屋跡(ニィヤーあと)」、「獅子安置小屋(ししあんちごや)」、「神(あみ)アシャギ」など旧家(きゅうけ)の屋敷跡(やしきあと)や祭祀施設(さいししせつ)が集中(しゅうちゅう)しています。
一般国道(いっぱんこくどう)329号(ごう)宜野座改良(ぎのざかいりょう)(1工区(こうく))事業(じぎょう)に伴(ともな)い、本遺跡(ほんいせき)の一部(いちぶ)の現況(げんきょう)が変(か)わってしまう為(ため)、沖縄総合事務局北部国道事務所(おきなわそうごうじむきょくほくぶこくどうじむしょ)と宜野座村教育委員会(ぎのざそんきょういくいいんかい)で遺跡(いせき)の取(と)り扱(あつか)いについて協議(きょうぎ)し、宜野座村教育委員会(ぎのざそんきょういくいいんかい)が2002年(ねん)~2009年(ねん)に遺跡(いせき)の記録(きろく)・保存(ほぞん)を目的(もくてき)とした発掘調査(はっくつちょうさ)を実施(じっし)しました。
発掘調査(はっくつちょうさ)の結果(けっか)、本遺跡(ほんいせき)は琉球王府時代(りゅうきゅうおうふじだい)(安土桃山(あづちももやま)~江戸時代(えどじだい))・グスク時代(じだい)(室町時代(むろまちじだい))・沖縄貝塚時代後期(おきなわかいづかじだいこうき)(奈良(なら)~平安時代(へいあんじだい))・沖縄貝塚時代中期(おきなわかいづかじだいちゅうき)(縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき))に人々(ひとびと)の生活(せいかつ)があった事(こと)がわかりました。
また、本遺跡(ほんいせき)からは奄美系(あまみけい)の土器(どき)、鹿児島産(かごしまさん)の黒曜石(こくようせき)、徳之島産(とくのしまさん)のカムィヤキ、中国(ちゅうごく)やタイの外国産陶磁器(がいこくさんとうじき)、中国(ちゅうごく)の古銭(こせん)、佐賀県産(さがけんさん)の肥前系陶磁器(ひぜんけいとうじき)など宜野座地域以外(ぎのざちいきいがい)から持(も)ち込(こ)まれた遺物(いぶつ)も出土(しゅつど)しています。
本遺跡(ほんいせき)は、沖縄貝塚時代中期(おきなわかいづかじだいちゅうき)(縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき))から琉球王府時代(りゅうきゅうおうふじだい)(安土桃山(あづちももやま)~江戸時代(えどじだい))に宜野座地域(ぎのざちいき)で生活(せいかつ)した人々(ひとびと)の歴史(れきし)を考(かんが)える上(うえ)で、とても重要(じゅうよう)な遺跡(いせき)です。
2009年3月 宜野座村教育委員会
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