槇島城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
槇島城跡
槇島城は、室町時代から安土桃山時代にかけて、足利将軍家の家臣真木島氏が本拠としていた城で、この付近にあったと伝えられています。この地は交通の要衝でもあり、また回りを川で囲まれた天然の要害にもなっていた所です。
槇島城が日本史の舞台に登場するのは、元亀4年(1573)のこと。織田信長に追われた室町幕府第15代将軍足利義昭は、京都から真木島昭光がいるこの槇島城に居を移します。しかし、7月18日に、追ってきた信長軍勢の豊臣秀吉・明智光秀・柴田勝家らからは川下の五ヶ庄より、また稲葉一鉄らからは平等院周辺より攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃亡しました。これにより、城は開城するとともに、室町幕府はこの地で滅びました。この戦を槇島合戦と呼んでいます。
その後、信長・秀吉によって城は管理されますが、文禄3年(1594)頃廃城になったと考えられています。
この付近は秀吉による堤の築造や宇治川の改修などにより景観がすっかり変わり、槇島城の位置はもちろん、存在そのものも忘れ去られようとしています。そこでここより少し北の槇島公園に槇島城記念碑が建てられました。平成16年8月1日 宇治市教育委員会