まだ街灯が点いていました。飯山市の調査だと南中門、西館門のどちらかの可能性が高いそうです。
飯山市の調査だと、南大手門の可能性が高いそうです。1906年(明治39年)6月に起こった放火までは二階建ての門だったようです。
まだ街灯が点いていました。飯山市の調査だと南中門、西館門のどちらかの可能性が高いそうです。
飯山市の遺構に関する史料だと現存している遺構だそうです。
東側は三の丸の切岸(写真左)で、通路を挟んで西側の土塁(右側)は現存している遺構だそうです。
当時はもっと垂直に近かったそうです。
現存している石垣で、『梅鉢積み』という積み方をしています。なので、よく見ると、角石以外のどの石垣を中心にしても梅の花の形をしています。おそらくこの積み方をしている城跡はここだけかと思います。
駐車場の石垣は当時の遺構ではないので、注意して下さい。観光バスも停めれる位大きい駐車場です。
中野市にある鈴泉寺の山門で、飯山市の調査で飯山城の城門だということが判っています。
飯山市の調査だと南中門、本丸門、二の丸門、西館門のいずれかだそうです。 写真左を見るとわかりますが、かなり濃い霧が出ていました。
長野市田子にあり、明治天皇田子御小休所跡の門で、飯山市の調査だと南中門、本丸門、二の丸門、西館門のいずれかだそうです。
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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