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関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築いたとされる石垣。あまり加工していない石を緩い角度に積むのが特徴で、高さは11mあります。(フォトラリー看板より)
関ヶ原合戦後に小早川秀秋が築いたとされる石垣。あまり加工していない石を緩い角度に積むのが特徴で、高さは11mあります。(フォトラリー看板より)
この石垣から東(旭川方面)に続く高石垣は、宇喜多秀家が慶長2年(1597)までに築いた石垣で、加工しない自然石を用いてます。一部では石垣が3m近くも地面に埋まっていて、本来の高さは15.6mもあります。関ヶ原以前の石垣としては全国屈指の高さです。
天守から見た、岡山市の夜景です。中央奥に見える長方形の建物は岡山県庁です。岡山県庁から見た、岡山城はきっと素晴らしい眺めなのでしょうね。
秋の烏城灯源郷の時に、ライトアップされた紅葉を入れて、天守を撮りました。
烏城灯源郷の間は、一方通行になってます。反対側の不明門から入り、廊下門から出るようになってます。
池田忠雄が1620年代に築いた石垣で、表面を平らに加工した石を用いてます。隅部は特に平らに整えられた方形の割石を配し、その長辺ウィ交互に振り分けた算木積みとなってます。(石垣フォトラリー看板より)
後楽園側の旭川の土手に降りて撮りました。天守と月見櫓の両方がカメラにおさめられます。
岡山城を撮るポイントのひとつ、後楽園からの岡山城。この場所は、次々と人が来ては、写真を撮ってました。写真には写ってませんが、池の手前にライトアップした和傘が飾られてました。
岡山城から少し離れた石山公園からの遠景です。夜になると人は少ないですが、ジョギングコースにしている人がいて、夜でも走っている人います。
烏城灯源郷のライトアップが終わってからの、帰り道で撮りました。月が少し雲にかくれながらも、うっすらと輝いていました。
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