新町薬師堂(犬伏新町薬師堂)は、1600年(慶長5年)の「関ケ原の合戦」を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、幸村)が、徳川家康(東軍)につくか、石田三成(西軍)につくかを話し合い、結果として双方にわかれて戦うことを決断した、いわゆる「犬伏の別れ」の舞台となったとされる場所です。
毎年5月には薬師様のお祭りもおこなわれます。
なお、「犬伏の別れ」の舞台は陣所があった大庵寺(犬伏下町)という説もあります。
現地には案内板が設置されています。
「真田父子 犬伏(いぬぶし)の別れ」の地
慶長五年(一六〇〇)、天下分け目の関ヶ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、徳川家康について会津の上杉家討伐に向かった真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子は下野国犬伏(現在の佐野市)に到着しました。そこで陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、どちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したとされています。
その話し合いの場がこの薬師堂であったといわれており、すぐそばを流れていた川に架かっていた橋は、真田父子の別れ橋としてこの地に語り継がれています。平成二十三年九月 犬伏新町町会
新町薬師堂の観光情報
住所 | 栃木県佐野市犬伏新町2060-2 |
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開館時間 | いつでも可(観覧は外観のみ) |
休館日 | 年中無休 |
観覧料(常設展示) | 無料 |
URL | http://www.city.sano.lg.jp/otakara/html/051.html |