左手の土橋を渡って右の郭に入ります。土塁のうねりが美しい。
二重横堀の間の土塁上から。
土塁から降りて3郭から。右の土橋を渡ってもすぐに土塁で直進を妨げられ、左折を強いられます。
右手前から進入する敵を土塁でせき止め、左折させます。土塁上から見るとわかりやすいですね。
虎口を内側から見ています。右手奥から入る道が左へ直角に曲げられているのがわかります。
馬出を横から見ています。右手の2郭から左の主郭に入るためには、この馬出を経由します。馬出からの攻撃を受けるとともに、主郭からも狙われます。
もう一度虎口を振り返ってみます。左奥から土橋を渡り、横矢を受けながら進んで、土塁にぶつかって左折。縄張の工夫ですね。
左奥にある2郭から馬出の反対側に回り込むためには、堀の底を通って右手前に抜ける必要があります。当然ですが馬出からの攻撃を横から受け続けるので厳しいですね。
右が主郭で、馬出からの土橋が見えます。
主郭へは直接入れず、馬出に入ることになりますが、往時にもここに虎口があったのか? あったとしても周りじゅうからの攻撃を受けるので、通るためには決死の覚悟を伴います。
搦手口です。堀は幅も深さもさほどではなく、土橋への横矢もかかっていません。大手側とは守りの厳重さが違います。搦手は城の北側、大手は南側で、どちらが敵側に向いていたかわかりやすいですね。柴田勝家にとっての敵は秀吉で、賤ヶ岳の合戦では想定通り、秀吉軍は南側に布陣しました。
搦手側から主郭へのアプローチです。この土橋を渡って左奥の馬出へと入るのですが、奥の主郭からの攻撃にさらされます。攻撃側の視点で兵士の受けるプレッシャーを体感できるシーンです。
搦手側の郭(左)から馬出へ入るための土橋を、今度は主郭の守備兵の視点で見ます。土橋を渡る敵兵を狙い撃ちにできることが体感できます。
主郭の土塁の厚みがわかります。往時はもっと高くて鋭い土塁だったことでしょう。右の奥が天守台です。
天守台と呼ばれる櫓台です。基本的には居城ではなく陣城なので、天守といっても豪華な建物があったわけではなく、実用的な物見櫓の性格が強かったのではないでしょうか。
大手側の馬出を主郭から。写真が傾いて見えますが、水平はとれています。馬出の土塁の天端はほぼ水平になっていますね。右側の2郭への道は正式な城道ですが、左側は後世にできたものかもしれません。
左側の2郭から土橋を渡って右の馬出へ、さらに左へ折れて奥の主郭へ。主郭からの攻撃にさらされる様子が想像できるかと思います。縄張りの工夫を味わえるポイントの1つです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する