淀古城があった納所交差点のそばに唐人雁木の跡を示す石碑が建てられています。
「唐人」というのは江戸時代将軍の代替わりや慶事に際して、朝鮮王から祝賀のため派遣された朝鮮通信使をさし、「雁木」というのは船着場の階段を意味します。
朝鮮からの通信使は対馬から瀬戸内海を経て大坂へ着き、大坂から川船に乗りかえ淀川をのぼり、この地点(淀城下)で上陸し、ここで休憩または宿泊をしたのち、京都へ出発し、さらに東海道を江戸へ向かいました。
この上陸地点を「唐人雁木」と呼びます。
1748年(延享5年)の通信使到着を描いた絵図(淀渡辺家文書)では、仮設の舞台のような船着場が作られており、本来の意味の雁木を使ったわけではなさそうとのことです。
なお、この石碑は1990年(平成2年)に立て替えられたもので、1928年(昭和3年)に三宅安兵衛遺志によって建立された原碑は現在、淀城跡公園内に移設されています。