七騎供養塔は南北朝時代、出雲守塩治高貞が加古川で追手に襲われた際、主君を守ろうとして奮死した従臣7名を供養するため、文政3年(1820年)に建立されたものです。 後に塩治高貞は、人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとして取り上げられ、忠義話として紹介されました。
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