大手門通り。トンネルを抜けて三の丸跡へ。
三の丸の石垣を上から。
大手門通り。トンネルを抜けて三の丸跡へ。
電柱の左側の説明板の内容は以下 ---- 家老屋敷跡 この場所には、家老屋敷がありました。 周囲には、野面積みの石垣が残存しています。 現在は、敷地内には旧鳥羽幼稚園の建物が残っています。
相橋の下の石垣は江戸時代から残る堀の一部とのこと
右下側の説明版の記載は以下 ---- 鳥羽城 唐人門跡(とうじんもんあと) この場所は、樋の山を源とし、相橋の下を通り、海に流れ込む妙慶川(みょうけいがわ)の河口付近にあたり、江戸時代から船着場として、鳥羽城下町の玄関口として機能した場所でした。明治10(1877)年に明治天皇が鳥羽に立ち寄った時にもここから上がったとされています。 鳥羽城は全国的にも珍しい四方を海に囲まれた「海城(うみじろ)」でしたが、明治の廃城以後の埋め立てにより堀の痕跡が残るのはこの一帯のみになりました。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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