楽田城
楽田城

[愛知県][尾張] 愛知県犬山市楽田


  • 平均評価:★★☆☆☆ 2.40(--位)
  • 見学時間:18分(--位)
  • 攻城人数:261(381位)

楽田城の案内板

楽田城跡の案内板の内容を紹介します。案内板は、楽田小学校の脇にある城址碑のすぐ横にあります。

楽田城跡
 楽田城は、織田久長により永正年間(一五〇四~一五二一)に築城されたと伝えられています。
 戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、楽田城が急襲を受けた永禄元年(一五五八)の様子が書かれています。この時、城中に高さ二間余の垣を築き、その上に五間七間の矢倉を作り、中央に矢を立て並べた八畳敷の二階座敷を設けたとあります。天守は館の上に設けた望楼から始まったとされ、楽田城がその起源といわれています。
 天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の合戦時には、小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされましたが、合戦終結の講和条件により取り壊しとなりました。
 楽田小学校の敷地は楽田城のあったところです。昭和五四年に学校敷地が拡大されるまでは土壇や堀の痕跡がありましたが、現在は当時の面影を残すものはありません。犬山市教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

楽田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

戦国の終わりを告げた城―八王子城を探る (ロッコウブックス)

おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。

赤ヱ門さん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る