楽田城跡の案内板の内容を紹介します。案内板は、楽田小学校の脇にある城址碑のすぐ横にあります。
楽田城跡
楽田城は、織田久長により永正年間(一五〇四~一五二一)に築城されたと伝えられています。
戦国時代末の儒学者小瀬甫庵の書いた「遺老物語」には、楽田城が急襲を受けた永禄元年(一五五八)の様子が書かれています。この時、城中に高さ二間余の垣を築き、その上に五間七間の矢倉を作り、中央に矢を立て並べた八畳敷の二階座敷を設けたとあります。天守は館の上に設けた望楼から始まったとされ、楽田城がその起源といわれています。
天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の合戦時には、小牧山の徳川家康に対峙する羽柴秀吉の本陣とされましたが、合戦終結の講和条件により取り壊しとなりました。
楽田小学校の敷地は楽田城のあったところです。昭和五四年に学校敷地が拡大されるまでは土壇や堀の痕跡がありましたが、現在は当時の面影を残すものはありません。犬山市教育委員会