浅羽記念公園の近藤記念館の展示してある「諸国古城之図」に描かれた馬伏塚城の図です。江戸時代の廃城後の姿とのことです。
近藤記念館に展示してある馬伏塚城のジオラマです。往時は入江に突き出た舌状丘陵の先端に作られた城だったことがわかります。
南曲輪群の拡大です。真ん中の本曲輪の右側の大土塁上の櫓台がある付近が現在の神社の本殿のあるところです。舟入や羽城曲輪が船着き場になっています。
伝居・屋敷曲輪の拡大です。この曲輪は兵の駐屯地、補給物資集積所として使われていたとのことです。左下に了教寺があります。
馬伏塚城や横須賀城とともに高天神城攻めの一翼を担った、岡崎の城山のジオラマも展示されています。
攻城対象の高天神城のジオラマも展示されています。
展示物として往時の入江、潟湖を表した地形図がありました。これを見ると、高天神城攻めのための城砦群(馬伏塚城、岡崎の城山、横須賀城)が防御面や水運による輸送などを考えて、入江に突き出た地形上に配置されていることがわかります。
現在は神社の境内となっている本曲輪です。階段で上がっているところが大土塁で、左側の本殿のところに櫓台があったとのことです。
左側の竹林が本曲輪跡。右側の竹林が馬出跡です。その間の隙間には両者の間にある空堀の跡があります。
浅くはなっていますが、本曲輪と馬出の間の堀が残っています。
北曲輪の土塁は、このように民家を取り囲む形で残っています。
北曲輪の北側の堀切は埋め立てられ道路となっています。堀切跡の右側には北曲輪の大土塁が残っています。
了教寺には馬伏塚城の三代目城主の小笠原氏清(氏興)と家臣の竹田重右エ門の供養塔があります。
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