大原神社の裏手から尾根を真っすぐ一本道です。 尾根の真ん中に実際は登城道の窪みがあるのですが落ち葉で埋まってしまっています。結構な斜度を一直線なので堪えますが、10分程度で城域に行けますので頑張ってください。
城址入口の∩字型堀切前の土塁が見えています。 この土塁の前面には放射状に∩字型堀切から変わる竪堀を含めて6本の竪堀が南に延びています(落ち葉が溜まっている筋が竪堀)。登城道はその一本を利用しているようです。
南側の曲輪下西側には15本の竪堀が続いています。
落ち葉が溜まっているところが堀底になります。
南東側の尾根にも土塁に∩字型堀切、堀切から続く竪堀との間に4本、南端の∩字型堀切との間に2本、計8本の畝状竪堀があります。 またこの土塁の下方には縄張図のはないのですが平場があって4つの丸い窪みがありました。その窪みの中には古いコンクリートの瓦礫が残っていたりと少し不思議な空間でした。
土塁の下方には縄張図にはないのですが平場があって4つの丸い窪みがありました。その窪みの中には古いコンクリートの瓦礫が残っていたりと少し不思議な空間でした。
城址南東尾根の堀切を伴う土塁の下方から撮影
東側から撮影。 この堀切は∩字型をしており、堀切の両端は竪堀になっています。
風通しのいい城址なので土塁上の落ち葉は飛んでいってしまうのですが、逆に掘に落ち葉が溜まってしまうようです。 堀切の中央には土橋があります。
数段の段差があり「く」の字に曲がっている曲輪群です。北側の主郭部との間に三重堀切があります。 城址碑は主郭ではなく写真のようにこの曲輪にあります。
虎口のある西側から東向きに撮影。 土塁がほんのり残っています。
虎口の周辺には土塁が残っています。 また写真中央奥の切り立った山が、ここから本拠を移動した竹山城です。 ただ1493年に竹山城に移った後、廃城になったと伝わっていますが、明らかに後年になってから修築されていると思います。
主郭ではなく、攻城して最初に登る南端の曲輪に設置されています。
城址碑付近から撮影。 奥にこの曲輪の中央部分にある土壇が見えています。 中央部分から東に「く」の字に曲っています。
中央の土壇から南側を撮影
南側曲輪(三段)中央には南西端を欠いた形の土壇があります。 写真は東側から欠けて折れが出来ている箇所を撮影。
南側曲輪の中央土壇がある付近の北西側尾根下には腰曲輪があり、南側曲輪の西斜面はここまで連続竪堀が続いています。
南側曲輪中央の土壇の北東側には土塁が残っていました。
南側曲輪の北側部分です。奥の土塁の先に主郭曲輪群と分断する三重堀切があります。
南側曲輪(三段)から主郭曲輪群の間には二つの大きな堀切とその間にある小ぶりな堀切で形成された三重堀切があります。 三重堀切の南側の堀切の前には土塁も造られています。
主郭曲輪群と南側曲輪群との間には大きな堀切2つと間にある小ぶりな堀切で形成された三重堀切があり、手前の土塁と奥の切岸も併せてがっちり遮断してあります。
主郭曲輪群と南側曲輪群との間には大きな堀切2つと間にある小ぶりな堀切で形成された三重堀切があり、手前の土塁と奥の切岸も併せてがっちり遮断してあります。
堀底(東から)撮影
中央の堀切側から
小ぶりな堀切です。
中央の三重堀切の主郭側の堀切です。 現在は写真奥の切岸に登城道がつくられていますが、本来は東側に大きく回り込んで東側の斜面から登ったようです。
どの堀切も竪堀になって斜面を下っています。(西側)
北側の堀切手前から真ん中と南側の堀切。
写真左側が南側曲輪、右側が主郭曲輪群の切岸です。
主郭側、西側斜面から
現在は三重堀切の正面の切岸に登城道がつくられているのですが、本来の登城道は切岸を東に迂回し、写真の2段目の腰曲輪まで降り、そこから続く登城道から主郭曲輪群へ東側からアプローチしていたようです。
この曲輪の切岸下には放射線状に6本の畝状竪堀があります。
東側尾根の段曲輪・最下段から撮影。 切岸の下には放射状に6本の竪堀が連なっています。
畝状竪堀の堀底から、写真の上部は最下段の曲輪の切岸です。
三重堀切から直接登るとこの曲輪の右上に出てきます。
主郭の南側の曲輪群を「二段」と呼ぶ文献もあります。 奥は主郭「本丸」の切岸です。
東側の尾根には腰曲輪が3つ連なっています。
三重堀切を上から見下ろすとこんな感じです。
主郭の南側は「二段」と呼ばれているようです。
主郭には西側に細く、北側は広い帯曲輪が付属しています。
主郭から植林がされています。 奥には太平洋戦争時代の防空監視哨の跡があります。 この奥あたりからダニがいますので注意して下さい。
主郭の北端には防空監視哨の跡が残っています。
主郭には西側に細く、北側は広い帯曲輪が付属しています。
土塁が廻らされているようなのですがあまり残存していなく、分かりにくかったです。 北から東にかけての切岸下に帯曲輪、竪堀群、北東尾根には土塁に挟まれた帯曲輪部分を含めると三重の堀切があります。
虎口は南側にスロープ状であります。
厩廓の切岸下にも東側から北側にかけて竪堀群があります。
写真の窪地を堀切とカウントすると北東尾根は三重堀切になっていることになります。(帯曲輪の一部という見方もできます。)
北東側尾根も三重堀切で遮断されています。 写真は真ん中の堀切
北東側の尾根も三重堀切で遮断されています。 堀切を越えた尾根は写真の奥あたりからまた急傾斜になっていました。
城外側から撮影。 木のせいで分かり難いかもですが、堀切の溝と土塁が連続しています。
綺麗な切岸です。 また帯曲輪の北側斜面(写真右側)には10本の連続竪堀が掘られています。
北側の主郭部と厩廓の境目付近です。ここからが一番楽に帯曲輪に下りれそうでした。
こちらの竪堀群はこのような見え方です。
主郭から北西側の細尾根には四重の堀切とその先に数段の小曲輪があります。 これらの遺構は昔の縄張り図にはなく、最近になって調査され書き込まれたもののようです。
主郭から北西側の細尾根には四重の堀切とその先に数段の小曲輪があります。 これらの遺構は昔の縄張り図にはなく、最近になって調査され書き込まれたもののようです。
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