お知らせ
堀跡は、田畑となっており立ち入ることは出来ません。
府道(バイパス)から撮影しました。
字天守と地名が付いていた二郭跡は、綺麗に整地されています。
私部城から国道168号線を南下した大阪府交野市と奈良県生駒市との境界近くに磐船神社があります。写真に見える巨石が御神体で、徳川大阪城築城の際に加藤肥後守忠広公がこの石を運ぼうとしましたが、巨大過ぎて諦めた証に「加藤肥後守 石切 アイリ・・」と刻み込みました。
二郭の南に位置する水堀跡で、本丸池との名称が付いております。私有地のため、道路から撮影しました。
左側が二郭、右側が本郭で、堀跡は畑地や田んぼとなっております。交野郵便局第二駐車場から撮影しました。
右手に見える建物が交野郵便局です。土塁右端と交野郵便局との間には、里道があります。
本郭へは左手の私道を進めば良いのですが、民家が建っておりますので、断念して下さい。
白色の二階建て民家が周囲より高い位置にある事がお分かり頂けますでしょうか。
交野市私部1丁目25番5号にあります。現在の交野市私部の西半分(西株)を治めていた旗本能登畠山家(高家)の代官を務めていた北田家住宅で、地元では代官屋敷と呼ばれております。普段は非公開ですが、春と秋の年に2回だけ特別に公開しております。この長屋門は、使用人の住居、作業場、蔵からなり、全長約56メートルもあり、日本一の長さを誇ります。
この長屋門は、騎乗のまま邸内に入れる高さがあり、とても珍しい造りとなっております。
北田家は、伊勢地方を治めていた北畠顕家の庶流で、北畠を名乗るのを憚り、畠の白を除いて、北田と名乗りました。私部城主安見家の重臣として仕えていましたが、安見家が没落すると帰農し、庄屋を務めていました。 宝永5年(1708年)に領主の旗本能登畠山家(高家)から代官に任命され、江戸時代には珍しく、代官職は世襲でした。ただ、「交野に名を残すなら悪代官」と言われ、私部地区の地主からは嫌われておりますが、ご当主は、とても良い人です。
交野郵便局の東側にある土塁です。
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