負の遺産とされ埋め立ての危機から蘇った八幡堀。今あるのは市民運動の賜物だそう。ところで、この石垣は築城当時のものなのでしょうか?
要害のためではなく、城下町の発展に寄与した水堀です。 【近江八幡観光物産協会HPより】 八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。
大手道を登って行くと眼前に現れます。
ロープウェイを降りてすぐのお願い地蔵尊付近で撮影。(写真差し替えのため再アップ)
石垣に紅葉が似合うことに気づかされました。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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