八幡堀(はちまんぼり)は豊臣秀次が八幡山城を築城した際に、城下町の都市計画として整備された水路です。
その規模は幅員約15m、全長6kmにおよび、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えていました。
八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たしました。
現在も堀沿いには白壁の土蔵や旧家が建ち並び、情緒あふれる景観を残しています。
八幡堀を含む旧市街地約13.1ヘクタールは、「近江八幡市八幡」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。