津城
126 津城

[三重県][伊勢] 三重県津市丸之内本丸


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.02(358位)
  • 見学時間:50分(355位)
  • 攻城人数:582(95位)

津城跡の案内板

津城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。

三重県指定史跡
津城跡(つじょうあと)
所有者 津市
安土桃山時代 平成17年3月25日指定

 津城は、織田信長の弟の信包(のぶかね)によって築城された。天正8年(1580)に五層の天守閣が完成し、それまで柳山あたりにあった町屋が移されて城下町が作られた。その後、富田氏が城主になり、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け、津の町は戦火にあい、荒廃した。
 慶長13年(1608)、藤堂高虎(とうどうたかとら)が伊予今治(いまばり)から移ってくると、本丸の北側を広げて石垣を高くして、両端に櫓(やぐら)を新築したり内堀・外堀とも整備したりするなど大改修を加えた。そして、城を中心に北・西・南に武家屋敷を、東には町屋を置き、町外れを通っていた伊勢街道を城下町に引き入れ、町の発展に努めた。
 また、城下町の東に端に堀川を掘り、船を入れて商業発展に利用するとともに、城下の外側の守りとした。また、堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合の防御の最前線とした。西側の武家屋敷の西一帯は湿田で、ここに町屋を建てることを禁止し、万一の場合と火災に備えた。
(1)【本丸】
 石垣が切れたところには埋門(うずめもん)と呼ばれる門があった。周囲には丑寅三重櫓(やぐら)をはじめ5つの櫓があって、多聞櫓と呼ばれる渡り廊下のようなものでつながれていた。
(2)【西之丸】
 現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓と外郭から入ると鍵の手に曲がった所に2階の櫓門があった。本丸との境には西の鉄門があり、土橋でつながっていた。
(3)【東之丸】
 現在は商工会議所や公園になっているが、かつては小さなお宮さんがあったといわれている。
(4)【内堀】
 本丸、西之丸、東之丸を取り囲んでいたが、順次埋め立てられて現在は本丸と西之丸の周りに残っているのみである。
(5)【ニ之丸】
 内堀と外堀に囲まれたところで、重臣の屋敷や藩政の中心機関があった。また周囲には12の小さな櫓が築かれ、北(京口御門)・西(伊賀口御門)・南(中島口御門)に門が設けられていた。
 文政3年(1820)には、藩校有造館(ゆうぞうかん)(現在のNTT西日本三重支店付近)がおかれた。日本庭園のなかに有造館の入徳門(にゅうとくもん)(市指定史跡)が移築されている。
(6)【外堀】
 城の内と外を区切る堀で、岩田川から水を取り入れていたため湖の干満で水面が上下した。現在はすべて埋められている。
津市教育委員会
三重県指定史跡(Prefecture designated historic site)
津城跡(つじょうあと)(The site od Tsu Castle)
  • 所有者 津市(owned by City)
  • 平成17年3月25日指定(designated by on 25th,March,2005)
  • 安土桃山時代(Azuchimomoyama period)

 津城は、織田信長の弟信包(のぶかね)によって築城された。信包は信長が伊勢へ勢力を伸ばしてきたとき、長野氏の養子に入ったものである。天正(てんしょう)8年(1580)には五層の天守閣が完成し、当時柳山付近が中心であった津の町から町家や寺院が移され城下町が作られた。その後、富田氏が城主になり、慶長(けいちょう)5年(1600)関ヶ原の戦いのとき西軍の攻撃を受け、城・城下町とも戦火を受けた。
 慶長13年(1608)、藤堂高虎(とうどうたかとら)が伊予今治(いよいまばり)から移ってくると、城に大改修を加え城下町を整備した。本丸を広げ、石垣を高くして北側の石垣に角櫓(すみやぐら)を築き、堀も整備したが、天守閣は再建されなかった。津城は典型的な平城で、堀が「回」の字形に二重に巡っている輪郭(りんかく)式または囲郭(いかく)式といわれる形の城である。
 城下町は、城を中心に北・西・南側に武家屋敷、東側に町屋(まちや)が置かれた。町はずれを通っていた伊勢街道を城下に引き入れ、町の発展を図った。また、堀川を掘り、東側の守りとしたが、物資の運搬にも利用され商業の発展に役立てられた。さらに堀川の外側には寺院を配置し、万一の場合に備えた。

The site of Tsu Castle
Tsu Castle was built by Nobukane, the younger brother of Nobunaga Oda, in 1580.
In 1608, Takatora Todo became the lord of this castle. With a 320000 koku stipend, he took residence here.
This castle, located in the center of Tsu, had a castle tower (Tenshukaku) surrounded by many other branch buildings and saveral moats to protect the castle from enemies.
In 1600, the castle tower was burned down in a fire and was never rebuilt. Only Honmaru, Nishinomaru, and a part of Uchibori now remain. Today Tsu Castle ruins are famous for their beautiful pine trees and stone walls.
【本丸】
 城の中で最も重要なところであるが、現在は洋風庭園になっている。南西隅の石垣が1段高くなったところに5層の天守閣があった。また天守台のやや東、石垣が切れたところには埋門があった。周囲には丑寅(うしとら)三重櫓(やぐら)をはじめ5つの櫓があって、多聞(たもん)櫓でつながっていた。
【西之丸】
 現在は日本庭園になっているが、昔は番所や倉庫があった。南西には玉櫓(たまやぐら)とニ階門があった。門は入口が鍵(かぎ)の手に曲がり、いわゆる枡形門といわれるものであった。本丸との境は土橋でつながっていた。
【東之丸】
 現在は商工会議所や公園になっているが、かつては小さなお宮さんがあったといわれている。
【内堀】
 本丸、西之丸、東之丸を取り囲んでいたが、順次埋め立てられて現在は本丸と西之丸のまわりに少し残っているだけである。
【ニ之丸】
 内堀と外堀に囲まれたところで、重臣の屋敷や藩政の中心機関があった。また周囲には12の小さな櫓(やぐら)が築かれていた。幕末には、藩校有造館(ゆうぞうかん)(現在NTT三重支店になっているところ)がおかれた。現在西之丸の日本庭園の中に有造館の入徳(にゅうとく)門が移築されている。
【外堀】
 城の内と外を区切る堀で、岩田川から水を取り入れていたため湖の満ち引きで水面が上下した。現在はすべて埋められている。
津教育委員会 (Tsu Board of Education)
   
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