馬籠の街並みからは少し外れています。
案内板の上へ上がっていけますが、現在の城趾は小さく、祠のある削平地も狭いです。
遠山18支城の一つで、小牧長久手合戦時は木曾義昌の家臣島崎氏が城主でした。島崎氏はのち郷士となり、島崎藤村はその子孫だそうです。
馬籠宿高札場近くの、恵那山を展望できる展望広場は、小牧長久手合戦時の徳川軍の陣所だったそうです。とても広々としています。 馬籠城は小さく、大軍が来たことに驚き夜陰に紛れて妻籠城へ逃れていたため、馬籠が戦火を免れました。
馬籠宿ので入り口も2度折れ曲がる桝形になっています。妻籠宿より馬籠宿の方が観光地化されている感じでした。
馬籠の街並みからは少し外れています。 案内板の上へ上がっていけますが、現在の城趾は小さく、祠のある削平地も狭いです。 遠山18支城の一つで、小牧長久手合戦時は木曾義昌の家臣島崎氏が城主でした。島崎氏はのち郷士となり、島崎藤村はその子孫だそうです。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する