駐車場内にバス停があります。(自販機横) 公共交通機関を使って攻城される方も直接来ることが出来ます。
この写真の左上(東北自動車道)脇にS字になっている部分があるのですが、そこは当時、雫石川の洪水被害で流出した外郭北辺築地塀の洪水跡(39.689365,141.109858)であり、今も地形として残っています。
この写真を夕方、宿泊先のホテルで見たときに払田柵や徳丹城に行けばよかったと後悔する。
木が生い茂っている所の櫓(3つある内の一番左側)の先に見えるのが東北自動車道で、志波城跡に高速道路を通す時に発掘調査が行われたそうです。
門の間から政庁南門が見えます
外郭南門から西側に櫓が7基あったのですが、その内4基が復元されています。 南門より5基目の櫓があった場所に東北自動車道が、一番西側の櫓があった場所に市道が現在通っています。
外郭南門から東側に櫓が7基あったのですが、その内6基が復元されています。ここから見ても相当大きな城郭だったことが判ります。
正殿、正殿東脇の位置を表示してあります。 しかし政庁だけで500尺四方(約150m)とは、多賀城の政庁(400×350尺)よりも大きいです。
ここの門も復元されることを期待しています。 現在は表示だけですが、通路が正面でなく端にあることから、この時代に既に食い違い虎口の原型があった事が判ります。
この下に1200年前の外溝跡の遺構があり、その上に土を盛って復元されています。 外郭の西側よりここまで歩いてきたのですが、志波城の城郭自体の距離が8町(約964m)四方あることをここに来て説明版を見て知りました。 多賀城とほぼ同じです。
ガイダンス施設の床にある志波城全景の上空写真と、志波城入口の説明板の全景写真(2003年撮影)左上部分にも載っているのですが、雫石川の洪水で外郭北側築地塀は流出してしまい遺構は全くないのですが、その時の洪水跡が当時のまま地形としてここに残っています。
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