備前丸の西側にあった大木が強剪定されています。
令和4年6月に修理完了しました。 令和5年3月12日まで特別公開中です。
門番所内にて昭和25年の修理の時のものです。
門番所内の南壁は剥き出しの石垣で、西の丸東辺石垣の北端になります。
菱の門二階の入口の部屋です。 内部は土壁です。床は保護のためマットが敷かれていました。
黒漆の格子に飾金具が取り付けられています。
門の上の部屋になります。 内部は土壁です。床は保護のためマットが敷かれていました。
この長持は姫路市に酒井家が「酒井家資料」を渡したときに、入れ物として東京から運ばれ、そのままここに置かれていたそうです。
菱の門二階(中室)の天井です。 昭和26年の修理の時のものです。
菱の門二階(中室)の城外側の火灯窓や格子窓は黒漆塗に飾金具が施されています。
菱の門二階(西室)に展示されていました。
菱の門二階(西側)に展示されていました。
見学用の階段が造られたいました。 この階段が無かったので今まで2階は非公開だったのかな。
2階櫓部分の見学用の階段が設置されていました。
二の丸の井戸です。
はの門の基礎です。
にの門の天井は低くなっています。
乾小天守の天守台に使われている石臼です。
乾小天守の天守台に使われている石臼です。
同名の櫓が連立天守を構成する廊下部分にもありますがこちらは天守北帯曲輪の多聞櫓の一つです。塩が保管されていたとされ、塩櫓とも呼ばれています。奥に見えている建物も多聞櫓の「ヘの渡櫓」です。
同名の櫓が連立天守を構成する廊下部分にもありますがこちらは天守北帯曲輪の多聞櫓の一つです。
同名の櫓が連立天守を構成する廊下部分にもありますがこちらは天守北帯曲輪の多聞櫓の一つです。
同名の櫓が連立天守を構成する廊下部分にもありますがこちらは天守北帯曲輪の多聞櫓の一つです。
門の中は西小天守地下階になります。
三階の石打棚の下は板戸で仕切られ内室と呼ばれる部屋になっています。 倉庫などに利用されていたそうです。
姫路城内には所々で節の木目を隠すために様々な形の埋木が施されています。特に明るい大天守の最上階では見つけやすいので少し上を見てみてください。
姫路城内には所々で節の木目を隠すために様々な形の埋木が施されています。特に明るい大天守の最上階では見つけやすいので少し上を見てみてください。
姫路城内には所々で節の木目を隠すために様々な形の埋木が施されています。特に明るい大天守の最上階では見つけやすいので少し上を見てみてください。
修理が終わったようです。(まだ建材が転がっていました)
無くてもいいところに瓦があったので写真を撮ってしまいました。
リの一渡櫓の所に石垣に転用されていた石棺が展示されています。
リの一渡櫓の所に石垣に転用されていた石棺が展示されています。
門扉は失われています。
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