攻城団からのお知らせ

攻城団の各種お知らせ用のブログです。毎月のレポートや新機能のご紹介など、スタッフからのサイトに関するご連絡はここに書いていきます。

二条城にマンガの取材旅行にいってきました

今週は新作マンガのために、大久保先生といっしょに京都を取材してきました。
「マンガでわかる」シリーズの次回作は二条城が舞台となります。

二条城については一昨年に「二条城完全攻城ガイド」を制作した際にそれなりに勉強しましたし、その後もガイドツアーも開催するために継続的に学んできたつもりですが、あらためてちゃんと教わろうと元離宮二条城事務所をはじめ、多くの方々に取材協力いただきました。

マンガの取材がメインではありますが、ぼくらはいま「完全攻城ガイド」とマンガを合体させて、新しく「城たび」というお城に特化した観光ガイドブックをシリーズ創刊する準備を進めていて、この二条城を創刊号にしようと考えています。
なのでぼくにとっても見どころガイドを加筆修正するために重要な取材となりました。

信長の京都、秀吉の京都、家康の京都

京都駅に集合すると、まず最初に豊国神社へ向かいました。
名前のとおり、ここは豊臣秀吉を祀った神社ですが、明治時代に方広寺の大仏殿跡に建立された新しい神社です。というのも「大坂の陣」で豊臣家を滅亡させた徳川家康が当時の神社(豊国社)を廃社にしたからです。

この唐門は国宝三唐門のひとつです(残りは大徳寺と西本願寺)。
1880年(明治13年)に南禅寺金地院から移築されましたが、その前は二条城の行幸御殿にあった唐門です。さらにその前は伏見城にあったと伝わっていて、案内板にも「伏見城の遺構」と書いてあります。

「二条城の遺構」と書けばほぼ確実なのに、なぜか伏見城の遺構にはロマンがあるのか、あちこちに「伏見城の遺構」があるんですよね。
ただ、おかしいのはおそらく神社としては「秀吉ゆかりの伏見城」のイメージ戦略だと思うのですが、仮に伏見城だとしても秀吉の伏見城は「関ヶ原の戦い」で焼けてるので、これはその後に家康が再建した伏見城となります。豊臣とは関係ないですね。なので桐紋は明治にここへ移築されたあとにつけられたと思います。菊紋については行幸御殿の唐門ということで二条城時代からあったのか、明治天皇の勅命により再興された際につけられたのかは不明です。

なお二条城・行幸御殿の唐門は、家康が築城時に建てた唐門をスライドさせた可能性もあると翌日、二条城で伺いました。
来歴はともかく、国宝だけあって立派な唐門であることはまちがいないです。

タケノコおじさん登場!

宝物館には秀吉にゆかりのある品々がたくさん展示されてるのですが、なかでも必見なのが重要文化財の「豊国祭礼図屏風(ほうこくさいれいずびょうぶ)」です。

これは秀吉の七回忌にあたる、1604年(慶長9年)の8月12日〜19日にかけておこなわれた祭礼の様子を描いた屏風で、豊臣秀頼が片桐且元に命じて、豊臣家のお抱え絵師であった狩野内膳重郷に描かせています。狩野内膳は狩野永徳の父である狩野松栄直信の弟子だそうです。

この屏風はほんとにすごいんですが、タケノコおじさんが描いてある屏風としても知られています。
(まあ知られていますと書きつつ、ぼくは今回はじめて知ったのですが)

ドン・キホーテに売ってそうなタケノコの着ぐるみをかぶったおじさんが描かれています。めちゃくちゃかわいくないですか。
ではなぜタケノコなのか、ここではわからなかったのですが、午後にわかります。こういうシンクロニシティ的なことが取材をしてるとよくあります。

宝物館にはほかにも秀吉の歯とか、骨喰藤四郎などもありますが、フラッシュを使わなければ撮影オッケーなのもいいですね。
(この日は平日だったのに刀剣好きな方々がけっこう来てました)

あととなりの方広寺にある梵鐘の銘文「国家安康」「君臣豊楽」もチェックしてきましたよ。「大坂の陣」のきっかけはイコール、二条城造営にもつながりますしね。

つづいて本能寺へ。

よく知られているように、現在の本能寺はいわゆる「本能寺の変」が起きた場所ではなく、その後の秀吉による都市改造によって移転しています。
ここでは信長公廟を見学したあと、大寶殿(宝物館)で「三足の蛙」などを見ましたが、撮影不可だったのでさらっと流します。

参勤交代で京都に立ち寄るのは禁じられていた?

ランチをしたあとに向かったのは二条城のすぐ南にある「二條陣屋(小川家住宅)」です。

ここは江戸時代に大名が宿にした屋敷です。江戸時代、参勤交代で大名が宿泊した旅館は「本陣」と呼ばれ、堅牢な屋敷が用意されていましたが、京都には本陣がありませんでした。その理由は幕府が治安維持のために京都への立ち寄りを禁止していたからです。
こういう話も言われるとなるほどなあって思うものの、言われないと考えもしなかったので新鮮です。

ただ二条城や京都所司代に用事がある大名には宿所が必要でした。また江戸中期以降になると京都見物も黙認されるようになったので、この二條陣屋が使われました。
こういう背景を知るとなんかおもしろいですよねえ。

二條陣屋のパンフには「土佐守の長男、千橘(祐滋)は」とあるものの、小川土佐守祐忠に「千橘」という名の子はおらず、子の光氏と良氏(祐滋)はともに慶長年間に病死したとされており、ちょっとよくわかりません。

ともあれ、屋敷としてはとてもおもしろかったです。
隠し階段(落とし階段)もあるし、二重廊下(内側は主人専用)もありました。美術的にも大広間の違い棚の絵は狩野探幽の弟の狩野永真(=狩野安信)が描いているなど、貴重なものがたくさんあります。
ここも撮影NGだったのが残念ですが、「タケノコ柱」というのがありました。この二條陣屋は高価な木材がたくさん使われているのですが、この「タケノコ柱」は丸太の根元部分を三角形に削って木目を出したもので、「筍面(たけのこづら)」ともいいます。

タケノコは成長が早く、天に向かって真っすぐ伸びることから縁起物とされているそうです。ここで「豊国祭礼図屏風」のタケノコおじさんにつながるわけです。あのおじさんはただ目立ちたいだけでタケノコを選んだのではなく、ちゃんと意味があったんです。
たしかにタケノコはおせち料理にも使われますしね。

ぼくらの取材はガイドに恵まれることが多いのですが、この二條陣屋でも素敵なおばあさんに案内してもらいました。

初日のクライマックスは永井さんのご自宅へ

ホテルで少し休憩したあと、「二条城にはふたつ天守閣あり」という本を書かれた永井太一郎さんにお時間をいただきました。
1時間ほどお邪魔する予定が、けっきょく3時間以上お話を伺ってたのかな。

大和郡山城からの移築とされる二条城の最初の天守(家康が建てた慶長天守)ですが、永井さんは新築説を提唱されています。

その理由として、よく「郡山城は大和宰相・豊臣秀長の天守だから」といわれるのですが、秀長は1591年(天正19年)に亡くなっており、1602年(慶長7年)の築城時は豊臣の家臣にすぎない増田長盛が城主なので、長盛の天守を取り上げたところで何のパフォーマンスにもならないし、工期短縮や費用節約を目的としても奈良から運ぶのは遠いから考えにくいとのことでした。

また家光が寛永行幸にあわせて建てた天守についても、伏見城からの移築ではなく、新築と考えたほうがいいとおっしゃっていました。

このへんは諸説がありまくるのでなんともいえないのですが、仮に新築だとするとなぜ伏見城を淀城に持っていかなかったのかの疑問が残ります(解体して資材は二条城に流用したらしいが、伏見から淀のほうが近い)。
ぼく自身も「なぜ金に糸目をつけなかった家光が新築しなかったのか」は以前から引っかかっていたので、新築説に異論はないものの現時点ではよくわからないとしか言えないですね。

永井さんの本は「完全攻城ガイド」をつくるときに購入して読んでいたのですが、うちから自転車で行ける距離に住んでらっしゃることがわかったので、ぜひまたお話を伺いたいと思いました。
(本は薦めたいんだけどAmazonだとやけに高騰してるので、今度聞いてみます)

二条城にはふたつ天守閣あり (大竜門シリーズ)[単行本] | 攻城団

織田信長が築いた幻の二条城や、二条城の二つの天守閣である初代家康の天守閣と二代秀忠・三代家光の天守閣について、二条城のあらまし、二条城の建物などを写真や図を交えて解説する。

その後、夕食は「がんこ高瀬川二条苑」で食べたのですが、ここは角倉了以の別邸跡でもあります。その後、山県有朋とかオーナーは何人か変わって、現在は日本料理店になっています。
角倉了以といえば、二条城内にある清流園の茶室「香雲亭」が彼の屋敷からの移築ですが、ここでもシンクロニシティですね。あとこの店にも素晴らしい庭園がありますので、ぜひ見てみてほしいです。あ、日本料理店と書きましたが「がんこ」は和食ファミレスみたいな感じなので、ひとり2000円くらいで十分ですよ。

朝イチで近所の京都考古資料館へ

2日目は朝食をうちの近所の喫茶店で食べて、京都考古資料館にいきました。

京都市考古資料館はうちから歩いて5分ちょいのところにあるので散歩ついでに立ち寄ることも多く、取材で訪問するのはなんだか恥ずかしかったです。
(入館無料で、金箔瓦など京都のあちこちで発掘されたものが展示されています)

前田館長と丸川さんに二条城の話、聚楽第の話、平安京の話などを伺いました。

今回ぼくらは二条城のマンガを描くんですけど、二条城を捉える上で、聚楽第や平安京ははずせないと思っています。
二条城は平安京の禁苑(天皇のための庭園)である「神泉苑」の一部に築城されていて、堀の水は神泉苑の水源から取り入れています。また寛永行幸はぜったいに聚楽第行幸を意識しているはずです。
二条城自体の歴史は400年ちょっとですが、京都の歴史は794年からはじまってるわけで、その土地の大きな流れをおさえておくことの重要性はほかのお城よりも高いかなと。

京都はあちこち掘り返すたびにさまざまな発見がありますが、二条城の調査結果も教えていただきました。
南側はもともと斜面になっていて、それを埋めて平坦にしたっぽいとか、見えてないものを見てきた方々の話はとても楽しかったです。

ぼくがいちばんおもしろかったのは御土居の話で、御土居は2ヶ月程度というきわめて短期間でつくられているのに奉行がいなかったそうです。これってすごいことですよね。
また御土居っていびつな形をしてますが、左側の「御土居の袖」と呼ばれる小さな凸部についてはいまだに謎で、あれを「出丸」という人もいるし、この地域には北野天満宮の神人(じにん)が住んでいたから囲う必要があったからという説もあるそうです。

このあとランチしながら、奉行がいなかったのであれば単純に連携ミスでズレちゃった可能性もあるよねって話してたのですが、御土居は出入口も具体的にどこにあったのかわからないみたいだし、御土居だけでも相当ネタがありますね。

今回の取材のラストは二条城

たまたま取材の日程調整の結果、最後になっただけなのですが、今回の取材のラストは二条城でした。
元離宮二条城事務所の後藤課長にお時間をいただき、事前にお送りした質問に回答いただいたり、唐門などの現地案内をしていただきました。

伺った話はガイドブックに反映していきますが、北大手門は50%くらいの確率で家康時代のものかもしれないという話や、二条城から大坂城まで見えたという話は興味深かったです。徳川幕府による大坂城の天守再建は1626年(寛永3年)なので、ちょうど寛永行幸の年ですね。

後藤課長は建築が専門だそうで、豊国神社の唐門は寄木造り、二条城の唐門は一枚板からつくる丸彫(まるぼり)(=透かし彫り)というちがいから年代のちがいを教えていただきました。
こういう知識をひとつずつ増やしていくのは楽しいんですよね。

ほかにも「洛中洛外図は現在168面ある、そのうち4面以外はすべて二条城が描かれており、40面が家康時代」という洛中洛外図の話はおもしろかったです。
洛中洛外図にはだいたい寛永行幸のシーンか参内のシーンが描かれるのですが、二条城の前、堀川通で神輿渡御(みこしとぎょ)を見物する人々が描かれているのがひとつだけあるそうです(勝興寺本)。じっさい1615年(慶長20年)に一度だけ堀川通を通っているのですが、「大坂夏の陣」で凱旋した家康への戦勝祝いだったとか。洛中洛外図の正確さについてはいろんな意見がありますが、こんなふうに事実が反映されているのを見ると、一定の信ぴょう性はありそうですよね。

勝興寺本はたまたま「完全攻城ガイド」をつくったときに使用許諾を得ていたのでご紹介できます。
ちなみにこの筆者は狩野孝信で、狩野永徳の次男です。というより狩野探幽の父といったほうが早いかな。

提供:勝興寺(富山県高岡市)

雲龍山 勝興寺|洛中洛外図

12棟の建造物が重要文化財に指定されており、加賀藩主第11代を継いだ前田治脩の支援を受け、西本願寺の阿弥陀堂を模して寛政7年(1795年)に建立されたものです。

もうひとつ「洛中洛外図」といえば、先日のテレビ番組で千田先生が紹介されていた「高津本」に描かれている「ふたつの天守」についても質問しました。

家康の天守と家光の天守が同時に存在したのかという点ですが、タッチがほかの洛中洛外図と大きく異なることと、構図も異なること(通常は東から見て描くのに対して、南から描いているのはこれと舟木本のみ)から外国人が描いた可能性もあるとした上で、正確性は低そうという回答でした。
その上で、「工事の関係で一瞬だけふたつの天守が存在した可能性はあるが、ふつうに考えて解体工事と移築工事がおこなわれる以上、どちらも完成した状態で見れたとは考えにくい」とおっしゃっていました。
ぼくも常識的に考えたらそうだよなあと思ってるのですが、前日に永井さんは「1625年(寛永2年)10月の一か月は同時に存在した」と話されてました。このへんは淀城の天守台工事の進捗とかを時系列で確認しないとわからないのですが、たぶんいまだに諸説がある時点で事実確認がむずかしいんでしょうね。

そのあとはぼくがガイドをして、二の丸御殿や二の丸庭園、天守台などを案内しました。

本丸御殿は工事中で本丸も大半が立入禁止でしたが、本丸櫓門の廊下橋の説明などもできたし、ひさしぶりの二条城ガイドでしたが、意外としっかりおぼえててスラスラ話せましたね。

そしてやっぱりぼくは二条城が好きです。
わからないことだらけだし、調べれば調べるほどいろんな説が出てきて断定できないことが増えてしまうんだけど、攻城団としてはなるだけ広く説を拾い集めて、真摯に誠実に案内していこうと思います。

今回ぼくは地元でもあるので、移動は楽だったのですが、花粉のピークでもあったので翌日から2日ほど仕事にならなくてレポートが遅くなってしまいましたが、いつもどおりボリューム満載の取材ができました。
あとはこれを大久保先生といっしょに整理しながら、わかりやすくておもしろいマンガをつくりますね。また並行してぼくのほうは「完全攻城ガイド」の内容を見直して、6月くらいに出版できるようにがんばります。

クラウドファンディングの案内
「城たび」のシリーズ創刊のためにクラウドファンディングで支援をお願いしたいと考えています。後日あらためて告知しますが、今回の二条城を皮切りに、日本初のお城専門ガイドブックをどんどん刊行していきたいので、ご支援とご協力をお願いいたします。
   
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