黒まめ

黒まめ(くろまめ)さん 家老 サポーター   フォロー

早いもので、攻城団で丸5年お世話になっています。企業では中堅といわれるポジションでしょうか。「城歩き」のおかげで大きな故障も無く、日々楽しく過ごしています。これからも元気に楽しく「城歩き」と「歴史探訪」を続けていきたいです。

黒まめさんのタイムライン

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-29)

和歌山城天守の多聞櫓展示室で開催中の「和歌山城を知ろう」とわかやま歴史館のコーナー展示「和歌山城の門」を見てきました。和歌山城動物園の園長、ツキノワグマのベニーと10代藩主治宝(はるとみ)を組み合わせたキャラクターベニトミくんと甲羅が虎模様のカメトラくんが歴代城主や歴史などをわかり易く案内してくれます。写真上は、焼失前の大天守、小天守、天守内部です。下は、昭和33年の天守再建時に出てきたという柱をまっすぐ立てるための道具「下げ振り」です。そして、治宝が計画した五重天守の模型写真が右中です。(←さすがに計画倒れ…)残念ながら、この模型も焼失してしまったということです。左中は、現存門、消えた門、外郭の門の3テーマで絵図や古写真、模型で見る「和歌山城の門」の展示です。最後に、ベニー園長が18日に亡くなったので、「長い間ありがとう」と園舎前の写真に声をかけてきました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-25)

今日は田辺市を巡ってきました。田辺市は市町村合併で広大な面積を有する市になっています。まずは、龍神村の「安倍晴明社(右上)」狭い県道(険道?)を進んだ道端にポツリとある小さな社です。五芒星の絵馬がたくさん掛けられていたので、それなりにお参りする方がおられるのでしょうね。(ユースケ・サンタマリアさんの顔が浮かびました。)そこから国道371号線という、日頃通ることのない道を南下して中辺路町の「一願寺(福巌寺)」へ。1つだけ願いを聞いてくれるという一願地蔵(右中)で知られ、結構な山の中ですが、参拝者はポツポツおられます。蛇体になって安珍を追いかけた清姫の里としても知られています。次に向かったのが、熊野古道中辺路の入口にあたる「稲葉根王子(右下)」です。前を流れる富田川では、「水垢離体験」ができるようです。川へ入るんかな?そこから一気に田辺市中心部にある「闘鶏神社」へ向かいました。熊野の別当の湛増が、源平のどちらに味方するか鶏を競わせて占ったことから闘鶏神社と言われるようになったそうです。ちょうど例祭の宵宮で、駐車場へ停められず、先に南方熊楠顕彰館へ行きました。熊楠邸に隣接しており、熊楠邸も公開されています(左下、熊楠書斎)。闘鶏神社も何とか行くことができたので良かったです。中下の写真は、境内にある紀伊徳川頼宣の付家老、安藤直次を祀った藤巌神社です。安藤氏の居城田辺城の本丸跡に建つ「錦水神社(左上)」にも祭の提灯が飾られていました。他にも、合気道の開祖「植芝盛平」の記念館、弓の名手、和佐大八郎の菩提寺「浄恩寺」、弁慶観音で知られる「海蔵寺」など、田辺市は広い分みどころもいっぱい、スタンプポイントもいっぱいです。今日も暑かったですが、山から海まで楽しく巡ってきました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-23)

狭山陣屋に攻城記録を残しましたが、実は本日のメインは、大阪市立自然史博物館(左下、中下)で開催中の特別展「ネコ にゃんと!クールなハンターたち」でした。ほとんど剥製展示で、剥製撮ってもな〜と思い、写真はありません。ヤマネコのマーキングの匂いを嗅ぐコーナーもありまし たが、イエネコのでもめちゃくちゃ臭いので、スルーしました(笑)通り過ぎてから、小学生くらいの子の「クサ〜」という悲痛な叫びが聞こえてきたので、私の選択は合っていたと思います。その後、30分ほどで移動できる狭山陣屋を攻城しようと車を走らせました。予定通り、狭山池北堤駐車場に停め、堤防に登るとなかなかよい眺め(右下)でした。狭山池博物館(右上、外観)は、建築家安藤忠雄氏のデザインだそうです。あまり期待していなかったのですが、ガイドもしてもらい、大満足でした。左上写真は、堤防の一部をカットし、その断面を見せる湯築城や勝龍寺城などの土塁展示のような感じです。とにかく巨大で圧倒されました。そのままでは運べないので、四角くカットして運び館内で組み立てたそうです。また、飛鳥時代に築堤されてから何度も改修され、慶長期には片桐且元が改修したという話を聞きました。その時の巨大な水門(右中)や、水を流すための樋が発掘されたのが、博物館ができるきっかけともなったそうです。これから行かれる方も、ぜひガイドをお願いすることをオススメします。全て無料でコスパ高すぎです。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-22)

今日は午後から、海岸線にポツポツ残っていた「わかやま歴史物語100」のスタンプ集めに行ってきました。まずは、御坊市にある県内最古、文武天皇勅願寺院「道成寺(左上)」。道成寺といえば、「道成寺物」と言われる歌舞伎や浄瑠璃の演目で有名ですが、大蛇となった清姫に焼かれたという「釣鐘」はキーワードにもなっています。お土産はもちろん「釣鐘まんじゅう(右上)」ですね。次に熊野古道紀伊路の王子社「切目王子(右中)」と「千里王子(右下)」千里王子は、ウミガメの産卵場の千里海岸にあり、「貝の王子」とも呼ばれ、昔から貝殻を奉納する習わしがありました。貝殻は古代のお金ですからね。写真でも、貝殻を置いているのが見えると思います。花山院の歌碑もありました。隣接する千里観音(中下)には、徳川頼宣も寄進した記録があるそうです。だから、本堂前の馬の像には葵の紋があるのか〜と、何度も行ってるのに今更気付きました。最後は、少し戻って、「印定寺(左下)」。鰹節発祥の地とされる印南町にあり、鰹節を考案した角屋甚太郎の位牌が祀られています。甚太郎の子孫、甚三郎の一人息子与一と奉公人のヲサナの悲恋物語も伝わっています。それにしても暑かった~。みなさんもお城巡りでの熱中症にお気をつけくださいね。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-20)

この写真は、79年前空襲で焼失する前の和歌山城大天守と小天守です。下の説明書きを拡大していただけるとおわかりになると思いますが、目立たぬようにムシロで覆っている様子が見て取れます。和歌山市立博物館で「和歌山大空襲」のコーナーでの展示写真です。今思えば、爆撃機で上空から焼夷弾を落とすのですから、むしろなどで覆ってもなんの役にも立たなかったことでしょう。姫路城や名古屋城でもそうですが、自分たちの拠り所であるお城を守ろうとする心が熱いですね。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-16)

はつみんさんの「ちょっとわかる茶の湯講座」に参加し、和歌山城の茶室「紅松庵(こうしょうあん、左上)」に行ってきました。その後、和歌山電鐵「貴志駅(右中)」「龍之渡井(中下)」「粉河寺(左下)」など和歌山市〜紀の川市にかけてのスタンプをゲットしてきました。貴志駅に行くのに、いつものように伊太祈曽駅(右上)駐車場(1日200円)に車を置き、和歌山電鐵への貢献も兼ねて、電車で行きました。今日は、伊太祈曽駅のよんたま駅長も貴志駅のにたま(たま2世)駅長(右下)も勤務中でした。中国人観光客がたくさん来られていました。子どもが言ってた「猫猫(マオマオ)〜」という言葉だけわかりました。(改札ふさいだり、線路上で撮影したり、乗らない電車に乗り込んで撮影したりと、ちょっとマナーが気になりましたが…。)自分も旅先でのマナーには気をつけようと思いました。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-10)

今日は、「九度山・真田ミュージアム」の企画展「真田一族 ゆかりの城」に行ってきました。ついでに、周辺のスタンプを取ってきました。計画では、「不動坂(左上)」を歩き、その後奥の院まで行って「生身供(弘法大師廟へ食事を供える儀式)」を見て、高野山関連のスタンプを集め、九度山へ下りてミュージアム見学(スタンプも)、あと近くの「慈尊院」「裁ち寄り処(高野口パイル織物)」のスタンプを取って帰る、という予定でしたが、バスを待ったのと、不動坂に時間が意外とかかったのとで、「生身供」に間に合いませんでした。でも山上では「高野山奥之院参道と戦国武将(徳川家霊台)」「高野山奥之院御廟 〜1200年続く弘法大師空海の食事〜(FOREST BLUE)」「弘法大師空海が開いた霊峰 文化財の宝庫 高野山(壇上伽藍 右上)」「高野山七弁天をめぐる旅(湯屋谷弁天、右中)」の4箇所のスタンプをゲットしました。「九度山・真田ミュージアム(中下、右下)」では、「”日本一の兵赤備えの軍を率いた真田幸村“」のストーリーのスタンプゲット、モニターでの解説も見て、「ゆかりの城(御城印もたくさん展示)」真田親子が暮らした「真田庵(善妙称院 左下)」にも立ち寄りました。この後、橋本市まで足を延ばし、「慈尊院(九度山)」「学文路天満宮」「西行庵」「応其寺」「妻の杜」の!5箇所を巡ってきました。(ストーリーも語りたいけど、割愛)

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-08)

月曜日の午後休は、嬉しいような(日曜日の後の憂鬱が半減される)、悲しいような(月曜休館の施設が多い)ですが、近場でスタンプラリーをして、図書館で読書するといったパターンになりつつあります。今日は、「法燈国師が創建した名刹 興国寺(左上) 〜径山寺味噌と虚無僧と天狗」、「青と白で構成された『日本のエーゲ海』。採掘と戦争の記憶が残る白崎海岸(右中)」「海の勇者 ヨハネス・クヌッセン機関長 〜デンマークと日本の友好の原点(中下)」、「小説『有田川』の舞台。有吉佐和子が描いた近代(左下)」の3つのストーリーをたどってきました。興国寺は、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の菩提を弔うため、家臣の葛山景倫が創建した名刹です。秀吉の紀州攻めで建築物の大半を失いましたが、後の紀州藩主浅野幸長によって再建されました。白崎海岸は、真っ白い石灰岩と真っ青な海とのコントラストがステキですが、石灰岩の採掘だけでなく、軍事基地としても使用された奥深い観光地です。坑道跡は、「戸津井鍾乳洞(右上)」として、土日(長期休暇は毎日)に中を見学することができます。我が身を顧みず人命救助にあたったクヌッセン機関長が遺体となって漂着した海岸近くに、慰霊碑と救命艇を保管する建物が建てられています。中下の写真は、建物の中に置かれた救命艇の一部です。右下の写真は、スタンプポイントではありませんが、日高地方の特産「クエ」のモニュメントです。なかなかのインパクトなので思わず写真に収めました。最後に訪ねたのは、『有田川』の舞台の1つ得生寺です。「嫁をとるなら糸我の会式、婿が欲しけりゃ千田祭と謳われる」と記述される有田市糸我の寺院です。いくつかある中将姫伝説ゆかりの寺院です。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-03)

今日は、久々に熊野古道大辺路の長井坂ルートを歩いてきました。「わかやま歴史物語」のスタンプポイントが「長井坂東登り口(右上、長井坂案内板)」にあり、無事ゲットしてきました。車で近くまで行けるんですが、長井坂ルートは、大辺路でも三本指に入るほど良いコースなので、どうせなら歩いてみようと思ったわけです。大辺路は、比較的新しい道で、江戸時代には官道としても整備されたようです。長井坂では、道を平らにし通行しやすくするため、稜線には「版築」(左上)というお城の土塁などでもお馴染みの技術が使われました。土塁の上か土橋を歩いている気分です。意外と速く歩けたので、もう1つ大辺路の「安居(あご)の渡し(左下)」もゲット!ここは、土・日・祝日のみ予約すれば、昔ながらの渡し舟で日置川を渡らせてくれます。そして、ここは、水軍領主安宅氏の本拠地の少し上流になります。昔のままなのではないかと思われる風景(中下)が広がっています。安宅氏城館跡もいくつか攻城団に登録されていますが、未登録で比較的攻城しやすい「大野城(右中、案内板、右下、登城口)」の下見をしてきました。白浜町は、発掘調査にあたり、トレンチ入れまくりで、国史跡への追加登録を申請する気満々のようです。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-07-02)

「海難1890」という2015年に公開された映画をご存知ですか?Amazonプライム・ビデオで見られるということを知り、今日は見てみました。和歌山県串本沖で、トルコ(当時はオスマン帝国)の軍艦エルトゥールル号が遭難した事件をメインに描かれた映画です。エルトゥールル号事件は、とても悲しい事件ですが、日本とトルコの友好の架け橋となった事件でもあります。私は、小学生の時、串本に単身赴任していた友達のお父さんを友達に連れられて訪ね、大島で、初めてこの事件を知りました。串本から巡航船とバスを乗り継いで事件現場の樫野崎灯台まで行ったのを覚えています。バスでたまたま隣に座っていたおっちゃんに、「樫野崎灯台は日本最古の石造り灯台なんやで」と教えてもらったのも覚えています。(後で聞くと、このおっちゃんは自衛隊の人で、階級章からかなり偉い人だったらしいです。) その後、串本町から大島まで橋が架けられ、とても行きやすくなるとともに、太平洋を一望にできるその風景と、立派な灯台などを目当てに、多くの人が訪れる観光地となったので、この事件を知る人も多くなったと思います。エルトゥールル号の乗組員の救助と捜索に献身的に尽くした大島の村人の話は、トルコの小学校の教科書にも載ったらしく、トルコではかなり知名度のある事件で、約100年後のイラン・イラク戦争で、テヘランに取り残された日本人を、トルコの航空機が救うというところまでつながっています。エルトゥールル号事件当時の世界情勢などもちょっと調べてみると興味深いものがあります。写真は、数年前に樫野崎を訪れた時のものです。左上は、エルトゥールル号遭難120年に日土両国友好の発展を祈ってトルコ共和国大使館から寄贈されたトルコ初代大統領の騎馬像と灯台です。左下、中下は、日本最古の石造り灯台「樫野崎灯台」で、右下は、灯台守が生活した官舎です。生き残った人は、絶壁を這い登り、この官舎に助けを求めたと言われています。右上は、エルトゥールル号遭難慰霊碑で、右中は、エルトゥールル号の模型や遺品、写真などが展示されている「トルコ記念館」です。記念館内から、エルトゥールル号が座礁した「船甲羅」がよく見えます。悲しくも美しい光景です。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-29)

本日、和歌山県立博物館で令和6年6月15日から令和7年3月9日まで開催される超ロングランな特別展「聖地巡礼−熊野と高野−」の第Ⅰ期「那智山・那智瀧の神仏−熊野那智大社と青岸渡寺」を観覧してきました。今年の7月7日が、ちょうど世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録20周年の節目ということで、異例の9ヶ月に渡る特別展です。ミュージアムトークに合わせて行ってきましたが、やはり解説があると違いますね。戦国の争乱で荒廃した那智山ですが、秀吉の紀州攻めで荒廃したのではなく、攻城団に暫定登録されている「勝山城(那智勝浦町)」などの城郭を築いた社家同士の争いで荒廃したのを秀吉、秀長が再興したという話も聞き、へぇ~でした。木製の「熊野十二所権現古神像」の首にある墨書には、寄進した羽柴秀長や藤堂高虎などの名も見られます。「那智山古絵図」には、IC建設で消えた「藤倉城」と「勝山城」も描かれていました。(←質問したら、親切に教えてくれました。ミュージアムトークならでは!)写真は、左パンフレット、右図録です。第Ⅴ期まで観覧したいと思います。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-27)

先日、根来周辺のスタンプを取りに行ってきました。「わかやま歴史物語」のスタンプポイント「旧県議会議場(左上、玄関、右上、議場、右中、議会の様子ジオラマ)」は、道の駅「ねごろ歴史の丘」に隣接して移築されています。今は無料ですが、公開した当時は100だったか入場料を払ったと思います。次に、根来寺に向かいました。今回は大塔の遠望だけです。周辺の田などは、子院の跡地だったようです。次は、「フォトジェニックわかやま」のスタンプポイント「和歌山県植物公園緑花センター(中下、右下、パイナップル🍍)」です。根来寺から車で5分ぐらいで、入場無料、中は広々でオススメです。歴史関係ないですけど、根来寺とともにいかがですか?

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-26)

先週の日曜日に発掘調査現地説明会に行ってきた和歌山県御坊市の「八幡山(やはたやま)城」ですが、また新発見があったようです。東、西、北と2重の横堀が検出されていましたが、さらに南にも2重の横堀があることがわかりました。さらに、遺物として東播系捏ね鉢が出たとのこと。小規模単郭の城ですが、二重の横堀がめぐる遮断性の高い構造で、遺物の時期は南北朝時代かそれより古いという大変珍しい事例だそうです。「みなさんウェルカム」な感じで整備を進めているところなので、もう少し整備がすすんだらDBに入力したいと思います。写真は、先週の現地説明会のときの様子で、説明しているのが発掘に当たった文化財センターの川崎雅史氏で、立っているのが東側の横堀の底です。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-25)

23日(日)に、城郭検定受けてきました。「今度こそ」のつもりで挑んだものの、またまた見たこともない、訳のわからん問題がたくさん出ていて、後で調べても解答にたどり着けない問題もあり…ゴニョゴニョ…。ギリギリで受かるか、ギリギリで落ちるかの薄氷の上に立ってます(笑)会場がわかってから、当日まで2週間ほどしかないので、なかなか攻城を組み込めないのですが、ハルカス美術館(右上入口)で開催されていた「尾張徳川家の至宝」展には行こうと思っていました。最終日だったからか、日曜日だったからか、結構な人出で、各展示の前には列ができていました。なので、全てを観ようとするとめちゃくちゃ時間がかかりました。目玉の「初音の調度」は、今も色褪せない美しさでしたが、同時に3歳の娘を手放す切ない親心も感じました。また、紀伊家伝来という振り袖は、刺繍や絞りなど手が込んでいて、ガラス越しでも実物は図録(左下、表紙)ではわからない美しさを感じました。せっかくあべのハルカスに来たので、展望台でも…と思ったら、展望台の入場料が¥2000と美術館より高かったので、回れ右して、16階の美術館前の庭園(右中)で景色を眺めお茶を濁しました。16階でもまだまだ上が高い(右下)ことに驚きました。(60階やもんね!) 後で調べたら、東京スカイツリーのチケットも同じくらいなので、最近の相場なんかな。ついでじゃない余裕のある時に行ってみようかな(一生行かないかもしれない…)。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-22)

今日は、和歌山県御坊市の「八幡山城跡発掘調査現地説明会」に行ってきました。「八幡山城(やはたやまじょう、攻城団未登録)」は、吉田の領主吉田蔵人源頼秀が1346(興国7)年に築城したと云われる城です。吉田氏は、道成寺の梵鐘や瓦にも名を残しています。吉田氏の子孫にあたる方々が、私費を投じて石碑(左上)を築くなど、整備を進めていましたが、今年の5月下旬から御坊市教育委員会が発掘調査を行い、柱穴や土坑、炉などを検出しました。東西に長い楕円形の主郭を中心に、2段の帯曲輪をめぐらしていたと想定され、主郭を中心に東西南北にトレンチを設けて調査を行ったようです。北側には、炉の跡(右上)と考えられる高温で焼かれている土と炭が見つかり、東側は主郭の切岸と横堀(右中)が見つかりました。南側には、土留と思われる石積(中下)、西側(左下)は、特に厳重な守りで堀切も発見されました。発見された遺物は、少ないものの、土師器皿、土釜、鉄釘(右下)など、南北朝期を示すものが見つかりました。城跡からは、眺めもよく、近くを熊野参詣道も通っている要衝なので、南北朝期だけでなく、戦国期にも湯川氏などが、改修したことは十分考えられます。子孫の方々は、公園化して多くの人に訪れてもらいたいとの考えのようです。城跡を保護しながら、大勢のお城ファンが楽しめる整備をしてくださると嬉しいですね。

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-19)

「お城行きたい〜」と、攻城団の地図で探した「雨山城」。ハイキングコースになって行きやすそうだし、「日根荘遺跡」も行ってみたかったし、家から車で1時間ちょっとで行けるし、車も置けそうだし…というわけで、本日久々の新規攻城をしました!まずは、情報収集、ということで、「歴史館いずみさの(左下)」へ。たまたま、夏季特別展「葛飾北斎浮世絵」を開催していたので、「富嶽三十六景」を楽しんできました。全部無料ですが、ジオラマあり、動画あり、とても楽しめ、勉強にもなリました。次に「日根荘遺跡」の構成資産「日根神社(中下)」とその神宮寺であった「慈眼院」に立ち寄りました。そこから、「土丸、雨山城跡」登山口へ。登山口からは山道と階段道で、30分ほどで「馬場郭」です。ここからの眺め(右下)が絶景です。日根荘から関空まで一望です!そこからわずかで「雨山城」主郭(右上)へ着きました。主郭には、「雨山神社」の祠と御神木のヤマモモ、休憩所があり、休憩所には、なんとトイレまで完備されていました!流石に水洗ではなく、オガクズをを使ったバイオトイレで、使用後は便器の横の自転車のペダルを漕がなければなりません。(多分、中のオガクズを攪拌する仕組みになっているのだと思う) 少し道を戻り、西の「土丸城跡」へ向かいます。所々岩盤が露出している急な下り坂で、恐る恐る進みましたが、途中で見える「日根荘大木の農村景観(左上)」が、パンフレットの写真のままで、息を呑むほどの美しさでした。「土丸城」の主郭(右中)にも祠がありました。そこからは戻らず、別のルートで下山しましたが、往路に通った道のほうが歩きやすかったような気がします。しかも、下りてから最初の登山口まで思った以上に遠かった〜。帰りは、さっき見た大木に立ち寄り、「犬鳴山七宝滝寺」を横目に根来衆の通ったであろうルートで和歌山まで山越えしました。(←高速代も浮いて一石二鳥!)

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-17)

いつもの如く、午後休を使って、スタンプ集めに行ってきました。元禄の頃、一人の女形が活躍しました。現在の和歌山県中津村出身の初代芳澤あやめです(スタンプポイント、道の駅san pin中津、画像無し)。中津村には、あやめの生家跡、あやめにちなんだ「あやめ橋」など、縁の場所がいくつかあります。次に、和歌山県の県木「ウバメガシ」から作られる最高級炭「備長炭」の故郷「みなべ町紀州備長炭振興館(スタンプポイント、右上、右中、右下)」です。備長炭はとても硬く、叩くと金属音がするので、炭としての利用の他に、風鈴や楽器(炭琴)などにも加工されます。また、水を浄化させたり、湿度対策として床下に敷き詰めたりもされるようです。私は、米びつの中とカメラバッグの中に入れてます。この後、スタンプラリーには関係ないですが、近くの「島ノ瀬ダム(左下、中下)」へも立ち寄りました。ダムでは、発電も少し行われていますが、ほとんどが下流の梅農家の灌漑用水として利用されるようです。そして、最後がみなべ町を津波から救ったという沖に浮かぶ「鹿島」を神として祀った「鹿島神社(スタンプポイント、左上)」です。「鹿島」は、南部の町を襲う津波を2つに分け、町を救ったと言われています。いわば、天然の防波堤として作用したのだと思います。なかなか、お城に行けないのが少し残念ですが、地元を再発見するのも楽しいですね。

黒まめ

黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-14)

今日は、うまい具合に午後から仕事が無くなり、勤務日以外に出勤した分の代休を頂きました。図書館へ籠ろうかとも思いましたが、良いお天気なので(暑いけど…)、「わかやま歴史物語」の御坊市周辺のスタンプをゲットしに行きました。まず向かったのが、熊野参詣道の王子社「塩屋王子(左上、右上)」です。由来ははっきりしませんが「美人王子」という別名でも知られています。以前熊野参詣道を歩いて2,3度立ち寄ったことがあるのですが、今回は、車で行っちゃいました。(←暑かったから)なんか知らん間に熊野参詣道の王子社として「国史跡」になっていました。次に向かったのが、江戸時代中期の念仏行者、徳本上人が得度を受けた「往生寺(右中、本堂)」です。予約をすれば、ご住職が徳本上人の絵解きをしてくださるそうです。そこから、紀州鉄道の「紀伊御坊駅」(←駐車場が無い!)へ行くのに、御坊市役所を目指しました。「市役所前駅(左下)」発の電車(中下、カワイイ1両だけの電車)にめちゃくちゃいいタイミングで乗れ、ラクラク「紀伊御坊駅(右下)」に到着しました。帰りはひと駅分歩きました。なんと言っても、全長2.7kmの最短鉄道なので、ひと駅分歩いても10分弱です。よく廃線にならんな~と思うのですが、母体が結構大きいらしく、赤字でも廃線の心配が無いらしいです。御坊市は、何度行っても、方向感覚がつかめず、ナビ様々です(笑)

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黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-10)

今日の午後休を利用して、和歌山市図書館(和歌山市駅kino内)で借りた本を返却に行き、そこから歩いて数分の「南方熊楠生誕地碑(左上)」へ行ってきました。「聖地リゾート!!和歌山モバイルスタンプラリー」の「わかやま歴史物語100」のスタンプ1つゲットです。南方熊楠は、在野の研究家として、田辺市での生活がよく知られていますが、生まれはここ、和歌山城下の橋丁です。生家は今も続く「世界一統(南方酒造)」という酒造家です。橋丁は、和歌山城の外堀(市堀川)のすぐ近くです。あと、今日は、以前から行ってみたいと思っていた「水軒堤防」を歩いてきました。「水軒堤防」は、寛永の頃、頼宣の命により築堤されたと言われていましたが、発掘の結果、江戸後期の築堤であることがわかったそうです。胴木を敷いた石積みと土塁の大変強固なつくりになっているそうです。堤防の上は思った以上に広く(右中、左下)、松の若木が植えられていますが、昔も松が植えられていたんでしょうか。国史跡になっているようで、案内板(右上)も設置されています。途中集落側へ降りる道(中下)もありますが、なかなかの高低差です。集落側からは、小さな山のように見えます(右下)。和歌山市の文化財情報によると、移築された石堤が見られる場所がもう少し北側にあるようです。また、行ってみたいと思います。

黒まめ

黒まめさん が最近のひとことを更新しました(2024-06-05)

湯川氏の拠点「亀山城」の主郭辺りが、「わかやま歴史物語モバイルスタンプラリー」のポイントになっているので、何度目かの攻城をしてきました。その後、なかなか攻城できなかった「入山城」公民館に数台車が置けるという情報を得て、攻城(?)してきました。なぜ?がついているかというと、「入山城」の2つのピークまでは、ヤブヤブで到達できなかったからです。冬にリベンジしたいと思います。麓の入山城麓の「三宝寺」では、湯川直光に連なるというご住職ともお話できて、有意義でした。

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今日のレビュー

イラストでサクッと理解 流れが見えてくる日本史図鑑

人を選ぶ本だと思います。
タイトル通り、流れを理解するにはいいと思います。
簡単になっている分、因果関係が短絡的になりすぎかなと思う部分もあり物足りない印象を受けますので、時系列を理解するためのとっかかりにはおすすめです。

はつみんさん)

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