河内守泰吉

河内守泰吉(かわちのかみやすきち)さん 大老 サポーター   フォロー

入団してからは攻城三昧となり、次はどこへ攻めようかと考えるのがとても楽しくて仕方ないです。恐るべし攻城団。作事と普請が好き(全部やん!)で、攻城しては写真を撮りまくっており、アップしているのは、ダイジェスト版です。

河内守泰吉さんのタイムライン

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  名島城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2024-09-03)

名島古城図(抜粋)
名島古城図(抜粋)

城址にある案内板からの抜粋です。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  名島城(福岡県福岡市) の写真をアップしました(2024-09-03)

西鉄 名島駅(城址最寄り駅)
西鉄 名島駅(城址最寄り駅)

城門風の駅舎である西鉄貝塚線名島駅から徒歩15分で本丸に到達出来ます。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  宇和島城(愛媛県宇和島市) を攻城しました(2024-09-03)

令和6年4月の地震により、本丸トイレ付近に地割れが出来たので、本丸トイレは利用出来ません。また、天守1階の北東側、南東側の漆喰も割れ、足場を組んで補修工事を行っております。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  大内氏館(山口県山口市) を攻城しました(2024-09-01)

土塁に囲まれた巨大な居館跡で、庭園跡が見事です。龍福寺内の資料館は、有料ですが無人ですので、予め小銭をご用意下さい。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  山口城(山口県山口市) を攻城しました(2024-09-01)

城址には藩庁門、土塀、土塁、石垣、水堀が残っており、城内にある旧県庁舎、旧県会議事堂も見学出来ます。なお、藩庁門と土塀は、明治3年に再建されたものとなります。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  秋月城(福岡県朝倉市) を攻城しました(2024-08-31)

小さな城下町ですが見どころ満載で、秋月郷土館、戸波邸、城址、久野邸は必見です。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  佐賀城(佐賀県佐賀市) を攻城しました(2024-08-31)

城址はとてつもなく広く、城内にクリークが流れていることに驚きました。また、復元された本丸御殿は無料で、佐賀県の文化財への心意気を感じることができました。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  久留米城(福岡県久留米市) を攻城しました(2024-08-31)

JR久留米駅から徒歩15分で城址です。現在、本丸部分のみが残っており、高石垣がとても素晴らしく、筑後川の眺めも抜群です。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  名島城(福岡県福岡市) を攻城しました(2024-08-31)

城址に立つと、良い海城だということが分かります。黒田長政公が福岡に領地替えとなり、福岡城を築くにあたり、建物、石垣を解体して運んだ「名島引け」により、遺構は大手石垣のみしかありません。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  福岡城(福岡県福岡市) を攻城しました(2024-08-31)

黒田長政公が築いただけあって、城址は、広大で時間に余裕を持って見学されるのが良いかと。城内には、古代の迎賓館「鴻臚館」跡の展示館もあり歴史を感じることが出来ます。現在、潮見櫓の復元工事中で、完成が楽しみです。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  龍王山城(奈良県天理市) の写真をアップしました(2024-08-11)

龍王山城跡周辺図(縄張図)
龍王山城跡周辺図(縄張図)

奈良県コンベンションセンターで開催された「お城まつり2024」で掲示されていた縄張図です。許可を得て、撮影しました。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2024-07-13)

城郭DB構築プロジェクトで、滋賀県長浜市にある小室陣屋の登録に助太刀させて頂いたところ、早速、5名もの団員に攻城頂き、とても嬉しいです。
そのことで気を良くしたので、続けて大阪府枚方市にある長尾陣屋を助太刀中です。
この長尾陣屋は、大身旗本の久貝氏の陣屋で、久貝氏は、元々、京都府長岡京市久貝の国衆で、1557年(弘治3年)に久貝正勝が遠江に赴き、今川義元に仕え、今川氏が滅んだ後は、徳川家康に仕え、正勝の子の久貝正俊は、徳川秀忠の小姓となり、上田城の攻防戦に参戦するも、秀忠と戦略で意見が合わず戦場を離脱し、1人で関ヶ原に赴き、井伊直政の陣を借りて、手柄を立てたので、上田での離脱は、お咎めなしとなりました。
1619年(元和5年)に正俊は、大阪東町奉行に就任し、河内国と山城国の境目となる河内国交野郡内に知行地を与えられました。
与えられた長尾の地は、織田信長による河内平定の際に、抗った松永秀久、門徒衆との戦いで荒れたままだったので、家臣の細谷善兵衛に命じて、近隣の農民を集め、開墾し、収穫が0だった土地を52石、最後には230石まで増やしたので、長尾の地名を、「福をもたらす岡である。」と言って、福岡に変えたほどです。
地名は、再び長尾に戻り、時が下って桜田門外ノ変の際は、吟味役に就き、関ヶ原の戦いで陣借りしたお礼にと、井伊家寄りの裁定をしたところ、後に、このことで、知行を減らされました。
波瀾万丈の久貝氏ですが、頑固ですが筋が通っていて、好感が持てますが、駿河譜代なのに徳川家康が大名にしなかった理由も何となく分かった気がしました。
陣屋跡は住宅地となり、遺構はありませんが、菩提寺の正俊寺、長岡天神から分霊を勧請した菅原神社があり、付近には薬医門を移築した圓通寺がありますので、登録されたら、ぜひ攻城してみて下さい。
写真は、菩提寺である正俊寺に移された石造十三重塔で、鎌倉時代の代物だそうです。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小谷城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

移設 伝小谷城脇門門扉
移設 伝小谷城脇門門扉

滋賀県長浜市大依町にある浅井歴史民族資料館に展示されています。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小谷城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

小谷城を見上げて
小谷城を見上げて

正面の高い山は、大嶽(495メートル)で、小谷城本丸は、右側の山にあります。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小谷城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

出丸虎口
出丸虎口

メインルートから外れている出丸は、草木が生い茂り、探索が困難で、秋から初冬に訪れるのがよろしいかと思います。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小谷城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

伝 移築城門(実宰院山門)
伝 移築城門(実宰院山門)

浅井長政公の姉である昌安見久尼が再興された寺で、浅井三姉妹が小谷城落城後に匿われたと伝わります。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小谷城(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

城跡絵図
城跡絵図

滋賀県長浜市北野町にある長浜市五先賢の館で掲示されています。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小室陣屋(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

移築 陣屋門(個人宅正門)
移築 陣屋門(個人宅正門)

滋賀県長浜市北ノ郷町にあります。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小室陣屋(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

移築 陣屋門(定楽寺山門)
移築 陣屋門(定楽寺山門)

滋賀県米原市夫馬にあります。

河内守泰吉

河内守泰吉さん が  小室陣屋(滋賀県長浜市) の写真をアップしました(2024-06-29)

孤篷庵庭園
孤篷庵庭園

滋賀県指定名勝で、宝永6年(1709年)ころに完成したと考えられる遠州流庭園です。

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今日のレビュー

キーパーソンと時代の流れで一気にわかる 鎌倉・室町時代 (だからわかるシリーズ)

タイトルにあるように、まず、キーパーソンと時代の流れに沿って、一つ一つの出来事が、それぞれ見開き2ページに整理されています。一目でわかり、「あれ、どうだったのかな」と前へ戻らなくても済み、カラーで写真や図版も多く、情報量の割に、サクサクと読み進められます。見開きページ毎に「時代のギモン」として、その時々のキーワードの解説があり、各章の最後の「ミステリー」のコーナーで、歴史のナゾにスポットを当てているのも、理解が深まるポイントです。鎌倉・室町時代をサクッとおさらいするのにオススメの書です。

黒まめさん)

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