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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2026-02-14)
 令和8年2月14日に姫路城(兵庫県姫路市)で開催された「令和7年度 特別史跡姫路城跡 南勢隠門(みなみせがくしもん)石垣保存修理工事」の現地説明会に参加してきました。
南勢隠門石垣は、凝灰岩を使用した打込みハギで、池田時代に築かれたとされ、一部に落し積みが確認出来ることから、榊原時代に部分的な積み直しが行われた可能性があるそうです。
今回は、経年劣化で間詰め石が抜け落ち、崩落や孕みの恐れがあることから、石垣全体の解体は実施せず、間詰め石を石垣の隙間に入れていく工事となりました。
というのも明治維新以降に石垣の手入れを定期的に行わないようになったためです。
間詰め石は、池田時代は、玉石と割石を併用して、わざと隙間を開けるのですが、地震時には、締まって強度が増すことが学術的に証明されているそうです。
また、間詰め石を入れる作業の実演もあり、文化財である石垣を専門に直す全国各地から選りすぐりの石工さんが来て、最新の技術で石垣修理を行っており、隙間に入れる石は、再開発で掘り起こされた外堀等の石垣石、間詰め石を再利用しているとのことでした。
僅か1時間程の説明会でしたが、石垣石のはつりを見学出来、石垣カードという石垣石のカルテのようなものを作成して、未来に残していくことが分かり、とても有意義な説明会でした。
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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2025-12-22)
 「戦国Walker2026 豊臣秀吉 秀長の城」を購入し、早速、読み耽っています。有名なお城の攻城をメインにしていないので、写真を使って頂いたらラッキーという考えでありまして、今年は、運良く岡山県にある亀山城(沼城)の全景写真を使って頂けました。
こうの団長のおっしゃってたコラムもオリジナルの方がすっと読めます。
とにかく面白い内容なので、是非ともお買い求めください。(角川アスキーの回し者では、ありません。笑い。)
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河内守泰吉さん が 鹿背山城(京都府木津川市)の城活ノートを更新しました(2025-12-22)
 城址の近くにJR関西本線の前身である関西(かんせい)鉄道が作った鹿背山橋台があります。明治31年に完成したのですが、加茂駅から奈良駅(大仏駅)まで行くのに途中、急勾配があり、難所となっていたために、明治40年に現在の木津駅を通る平坦なルートに変更され、廃線となりました。
橋台部分は西洋の技術が取り入れられているのに対し、翼壁部分は、なんと日本の石垣技術(谷積み)が活かされています。
鹿背山城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2025-12-16)
 三重県四日市市にある鳥出神社に参拝し、境内にある奉納御座船模型の案内板を見たところ、軍船である関船、小早の木造模型が奉納されていることを知りました。
江戸時代の作成ですが、戦国時代からの関船、小早とほぼ変わらないと思うので、当時の軍船のイメージが湧きました。
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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2025-11-23)
 昨日は兵庫県丹波篠山市にある沢田城(4326)を攻城しました。登録にご尽力して頂いた方々に感謝申し上げます。
ついでに篠山城下にある大国寺、玉地山まけきらい稲荷も訪れましたが、紅葉は散り始めでしたが、宇土観音弘誓寺は、今日か明日が紅葉のピークかと思われます。イチョウの木がとても大きく、感動すること間違いなしですので、皆様、攻城ついでにいかがでしょうか。
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河内守泰吉さん が 信貴山城(奈良県平群町)の城活ノートを更新しました(2025-11-18)
 信貴山へは、かって近畿日本鉄道東信貴鋼索線として、信貴山下駅から信貴山駅までケーブルカーが運行されていましたが、昭和58年に廃止されました。
三郷町では、軌道跡、車両や施設の一部を譲り受け、信貴山下駅から県立西和清陵高校までは道路に、県立西和清陵高校から信貴山バス停までは遊歩道として、整備を行いました。
写真は、旧東信貴鋼索線新設橋梁と軌道跡です。当然ながら、単調な勾配となりますので、行きより、帰りの方が楽です。
攻城の帰りに立ち寄られては、いかがでしょうか。
信貴山城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 淀城(京都府京都市)の城活ノートを更新しました(2025-11-12)
 淀城址内にある稲葉神社境内に「山城国淀城図」の案内板が掲げられています。
この案内板は、淀城の絵図で、とても分かり易く、お城のイメージを掴めます。
そして、なんとこの案内板は、淀城主稲葉家の19代末裔であられる稲葉正輝さんからの寄贈品なのです。
稲葉正輝さんは、朝日新聞に掲載された「大名の墓じまい」の記事にもありますように、お子さんがいらっしゃらなく、絶家を決断されました。
岐阜県瑞穂市にある十七条城(攻城団4286番)から始まり、斎藤利三の娘である福(後の春日局)を継室に貰った稲葉正成の系統を無くすことは、相当、勇気がいったと思います。
稲葉正輝さんは、伝来していた「山城国淀稲葉家文書」383件も国文学研究資料館に寄贈され、貴重な歴史的資料の散逸を免れました。
稲葉正輝さんに改めて、感謝申し上げます。
淀城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 三雲城(滋賀県湖南市)の城活ノートを更新しました(2025-11-01)
 写真に写るトンネルは、JR草津線の前身である関西鉄道により明治22年に竣工した大砂川トンネルで、天井川である大砂川をくぐる石・煉瓦造の鉄道トンネルで、上部には蒸気機関車による煤が付着しています。
川越えの苦労、明治の鉄道交通の近代化などを象徴しており、令和元年に土木学会により選奨土木遺産に認定されました。
大沙川隧道、弘法杉、長谷商店の近くにありますので、攻城の際に見学されては、いかがでしょうか。
三雲城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2025-10-05)
 滋賀県高島市にある新庄城を攻城した時に近くにある日本陽明学発祥の地である藤樹書院も見学しました。
藤樹書院は、中江藤樹先生が陽明学を教えた私塾で、慶安元年(1648年)に門人達により創建されました。
書院には、以前、細川護煕元首相が来られ、「ここに私の先祖が来ていたと伝え聞いています。」と言われたので、ガイドの方は、『藤樹書院』と書かれた扁額を案内されました。
作者は、大溝藩6代藩主分部光命(みつなり)公の次男、分部昌命(まさなが)公で、熊本藩家老家である三淵家に養嗣子に行かれました。
その後の血縁の流れは分かりませんが、細川本家に歴史が伝承されていることに感動を覚えました。
写真は、分部昌命公が宝暦11年(1761年)に作成された『藤樹書院』の扁額です。
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河内守泰吉さん が 山上陣屋(滋賀県東近江市)の城活ノートを更新しました(2025-05-17)
 山上陣屋跡から愛知川を渡ったところに高野館跡があり、文献資料によると、この地は戦国期には小倉右京亮の所領で、その妻のお鍋が夫亡き後、織田信長公の側室として迎えられ、信長公亡き後は、豊臣秀吉公の正室ねね様からの口利きがあり当地に領地を賜ったとされます。
高野館遺跡が立派な石垣を伴う館跡であることから、お鍋の館である可能性が指摘されています。
なお、お鍋の方は信長公が安土城から本能寺に向かう時に最後まで見送ったと言われています。
因みに発掘調査で見付かった上段石垣のスロープ、下段石垣の枡形虎口は、埋め戻されて、現在は、上段は畑地に下段はゲートボール場になっており、案内板が設置されています。
写真は、高野館の上段です。
山上陣屋の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 母坪城(兵庫県丹波市)の城活ノートを更新しました(2025-04-27)
 城址は、加古川と柏原川が合流する地点のすぐ東、南北に延びる丘陵上にあります。城の北側を柏原川がΩ字型に巻くように流れており、水運の要衝を押さえるのに絶好の地点にあります。
古くは南方向にある高見城の支城として、その後は後谷城の赤井氏に属して、何度も戦場となったそうです。
最後は1579(天正7 )年の明智軍の攻撃により落城しました。
遺構として、曲輪、堀切、竪堀、空堀があります。
写真は、天然の水堀である柏原川と城址遠景です。
母坪城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 石生西河原城(兵庫県丹波市)の城活ノートを更新しました(2025-04-26)
 攻城口である水分れ(みわかれ)公園は、日本で一番低い分水界にあります。
分水界は、たいてい高い山々の尾根になりますが、石生の分水界は海抜約100メートルで、平地の中にあり、町の中に分水界があるのは、大変、珍らしいとのことです。
写真は、高谷川に作られた分水ポイントで、右側の取水口に流れると由良川を経て、日本海へ。左側に流れると加古川を経て、瀬戸内海に流れます。
石生西河原城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 天神山城(岡山県和気町)の城活ノートを更新しました(2025-04-23)
 和気町は、観光地として片鉄ロマン街道(旧片上鉄道線路敷をサイクリング、ウォーキング用に舗装)、藤公園を推しており、和気町観光協会(JR和気駅前)や和気美しい森には、天神山城のパンフレットや御城印すらありません。
その代わりにレンタサイクルは充実しており、電動自転車(500円、15:30までに返却)、マウンテンバイク、ママチャリ(300円、時間制限なし)があります。
天石門別神社側から天神山城を攻城される方、天瀬侍屋敷跡を見学される方は、片鉄ロマン街道が便利ですので、是非、ご利用ください。
写真は、旧河本駅近くにある天神山トンネル群です。
天神山城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 黒井城(兵庫県丹波市)の城活ノートを更新しました(2025-04-20)
 黒井城は猪ノ口山(標高356メートル)にある山城で、城域はなんと猪ノ口山系全体を含んでおり、主郭の北方向には西の丸が、西の丸の北東方向には龍ケ鼻砦、百間馬場が、西の丸の北西方向には千丈寺砦が、千丈寺砦の南方向には兵主神社西砦が、主郭の北東方向には北の丸が、主郭の南東方向には東出丸が、東出丸に続く尾根先には、多田砦、的場砦、東山砦が、主郭の南方向には、太鼓の段が、太鼓の段から南西方向には三段曲輪が、主郭の南西方向には、石踏の段があります。
つまり主郭周りの中腹に6つの曲輪を配置し、さらに主要な尾根には砦を築いています。
また曲輪間には、敵の進攻に合わせて味方が移動しやすいように連絡ルートを設けて、主郭部の周囲を守っています。
お時間のある方は、主郭だけでなく、その周りの曲輪や砦も攻城されては如何でしょうか。
写真は、主郭部から見た千丈寺砦方向の眺めです。
黒井城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 北曽根城(岡山県和気町)の城活ノートを更新しました(2025-04-10)
 紹介文にもありますように攻城路の至る所に山ツツジが咲き誇っており、とても綺麗で感動しましたので、皆様にもご覧頂きたく、投稿しました。
北曽根城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 福山城(岡山県吉備中央町)の城活ノートを更新しました(2025-04-04)
 レンタカーで高谷地区から西に延びる林道を使いましたが、ダート道に入ってすぐの倒木・倒竹に阻まれてしまいました。
おまけに方向転換しようとすると、タイヤがスタックしてしまいJAFさんに助けて貰いました。
簡単な攻城ルートをご存じの方は、写真をアップして欲しいです。
写真は、林道終点からの推定徒歩ルートですが、荒れに荒れており、攻城を断念しました。
福山城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 利神城(兵庫県佐用町)の城活ノートを更新しました(2025-03-21)
 利神城ツアーに参加して、教えて頂いたことをお知らせ致します。
まず、なぜガイドツアー以外が入山禁止なのかですが、
① 利神城のある利神山は、火山灰が固まって出来た凝灰岩の上にあり、土は、僅かしかなく、従って豪雨となると土が流され、木々もなぎ倒される不安定な地盤の上にあります。
② 上記①の理由により木々の根が山の表面に露出しており、登山者が踏み歩くことにより、樹勢が弱り、枯れ、土が流出するという悪循環に陥っています。
③ 上記①の理由により、土砂の流出により石垣が崩落しています。
④ 池田期(慶長期)における石垣石は西隣の山から切り出した安山岩質凝灰岩で、強度はありますが、石垣の積み方が乱積み(間詰石が多い)で、工期が早いが強度が劣るので、経年劣化がかなり進んでいます。
⑤ 鹿の食害により、木々や下草が枯れ、土砂が流出しています。(一応、形だけの城址を囲む防獣柵を設置していますが、天守台まで鹿の糞があります。)
⑥ 宇喜多期(天正期)の石垣石は、利神山で産出される流紋岩質凝灰岩で、強度がとても弱いです。
⑦ 利神城のある利神山自体が多数の地権者がいる私有地です。
⑧ 利神城の管理団体が佐用町となっています。
以上の理由で、ツアーガイドを伴う入城しか現状、認められておりません。ツアー代は弁当付きで、3,000円ですが、管理保全に使われ、城址も素晴らしいので、是非、ガイドツアーに参加して、攻城して下さい。
写真は、雨の中の天守台です。
利神城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が最近のひとことを更新しました(2025-03-15)
 3月12日の産経新聞朝刊に掲載された千田嘉博教授の「お城探偵」コーナーで岡山県の龍ノ口城(攻城団:龍の口城)が紹介されました。
実際に攻城したのですが、まさに難攻不落の山城です。
普通に攻めるとなると、龍ノ口グリーンシャワーの森の谷筋を登るのですが、峠からは、多数の曲輪の中を通り、折れのある道を進み、いざ城域に入ると土塁が出現し、高低差の地形を利用して、鉄砲、弓矢でやられること間違いなしと思いました。
となると、岩盤剥き出しの岩場コースとなるのですが、主郭から丸見えで、丸太、石による攻撃に晒され、これまたやられます。
本当に凄いお城なので、皆さん、攻城して下さい。
写真は、主郭からの眺めで、撮影場所は、断崖絶壁上からです。
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河内守泰吉さん が 造山城(岡山県岡山市)の城活ノートを更新しました(2025-03-12)
 宇喜多直家公の有力家臣であった花房氏が岡山市北区高松原古才に設けた花房陣屋(別名:花房高松地行所、6,200石、攻城団登録対象外)の総門で、花房氏が法華宗の門徒であった縁で、岡山市北区新庄上にある本隆寺の山門として、明治9年ころに移築されました。
平成15年に修築工事が行われ、一部の部材が新調されています。
造山城の近くにありますので、是非、訪れてください。
造山城の城活ノート一覧
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河内守泰吉さん が 三石城(岡山県備前市)の城活ノートを更新しました(2025-02-12)
 明治24年3月18日に山陽鉄道(現:JR山陽本線)三石駅〜岡山駅間が延伸開業された頃に造られた煉瓦積アーチ型の橋梁で、地元では、四列穴門と呼ばれ、正式名称が三石の煉瓦拱渠群(三石金剛川橋梁)で、2008年に土木学会選奨土木遺産に指定されています。
明治時代に造られた橋梁は、令和でもなお現役で、攻城口(JR三石駅側)から徒歩圏内にあります。
三石城の城活ノート一覧
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