のり

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兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-25)

大伝法堂
大伝法堂

文政9年(1826)再建の根来寺の本尊三尊像(重要文化財)を安置している建物で、現在も覚鑁上人以来の「伝法大会」はここで行われており、僧侶が厳しい修行をされているそうです。国の重要文化財。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-25)

不動堂
不動堂

八角円堂は全国的に珍しく、大聖不動明王を本尊とし、四大明王をお祀りしているそうです。覚鑁上人が高野山上で危難にあった折り、身代わりとなってお守りくださった故事により、「身代わり不動尊」といわれ信仰されています。国の重要文化財。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-25)

菩提院
菩提院

覚鑁上人のご遺骸を火葬に付した荼毘所跡。御堂には阿弥陀如来立像を本尊とし興教大師の木像を安置しているそうです。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-24)

大塔
大塔

天文16年(1547)建立で、「大毘廬遮那法界体性塔」を略して大塔と呼ばれています。真言密教の教義の形の上で端的に表したもので、真言宗では「金胎不二」の精髄を示す塔として最も重要とされるそうです。高さ40mを誇る日本最大の木造建築で、唯一無二の国宝。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-24)

大師堂
大師堂

明徳2年(1391)建立で、真言宗をひらかれた弘法大師さまをお祀りし、毎月21日に御影供の法要が行なわれるそうです。根来寺の中で最も古い建物で、国の重要文化財。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-24)

鐘楼門
鐘楼門

正面入口からの参道にある門で、竜宮門と楼門が一体化したような感じで、毎日、午前6時に鐘が鳴らされており、除夜の鐘もこちらで撞くことが出来るそうです。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-24)

正面入口
正面入口

根来寺は大治5年(1130)に開かれたお寺で、最盛期を迎える戦国時代の頃には数百の堂宇が立ち並び、その周りには村落ができ、ひとつの経済都市と呼べるほどの規模があったそうです。

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のりさん が  根来城(和歌山県岩出市) の写真をアップしました(2024-02-24)

大門
大門

嘉永5年(1852)に再建された根来寺一山の総門で、大寺の表門にふさわしい大規模な二重門になっています。覚鑁上人が百ヶ日秘法律結願の日、五百仏面が地中より湧出したという奇瑞にならって両脇に仁王像、上層に釈迦如来を中心に十六羅漢像を安置しているそうです。国の重要文化財。

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のりさん が  猿岡城(和歌山県紀の川市) の写真をアップしました(2024-02-23)

猿岡城址碑
猿岡城址碑

秋葉山は粉河寺本堂の南側にあるので、前山と呼ばれ、山上に猿棚が設けられていたので、猿岡山と呼ばれていたそうです。天正元年(1573)に粉河寺僧兵達がここに山城を築き、寺防衛に備えたと伝えられています。天正13年(1585)粉河寺一山ことごとく焼亡、同8月に羽柴秀長の家臣だった藤堂高虎が紀州四国平定の功により入城。文禄元年(1592)に朝鮮出兵のため粉河を去るまで7年間在城したそうです。

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のりさん が  猿岡城(和歌山県紀の川市) の写真をアップしました(2024-02-23)

秋葉大権現
秋葉大権現

この神社は粉河寺に帰属し、明和年間(1764~1772)に遠江国(静岡県)周智郡秋葉山三尺坊を勧請し、旧猿岡山、今の秋葉山上に建立されたそうです。

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のりさん が  猿岡城(和歌山県紀の川市) の写真をアップしました(2024-02-23)

登城口
登城口

秋葉山公園南側にある登城口で、秋葉山公園の案内図があります。

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のりさん が  猿岡城(和歌山県紀の川市) の写真をアップしました(2024-02-23)

粉河寺・大門
粉河寺・大門

桁行12.48m、梁間7.48m、平面積93.38mを有する規模の大きい楼門で、建立は明らかではないが、各鬼瓦に宝永4年(1707)の刻銘が見られ、様式上この頃の建立と考えられているそうです。国の重要文化財。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-22)

乾櫓と紀州南高梅
乾櫓と紀州南高梅

乾櫓は天守郭の西側にある二重二階の櫓で、大天守の対角位置しているため、天守の最上階からよく見えます。手前の紀州南高梅の梅花が良いアクセントになっています。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-22)

南多聞内部のイベント展示
南多聞内部のイベント展示

南多聞は大天守と二の門櫓を繋ぐ廊下で、2024年1月13日~2月12日の期間のイベントで天野喜孝氏のアート作品が展示されていました。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-22)

大天守3階のイベント展示
大天守3階のイベント展示

2024年1月13日~2月12日の期間に大天守1階と同様に天野喜孝氏のアート作品「CANDY GIRL」が展示されていました。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-22)

大天守からの眺望
大天守からの眺望

大天守より天守郭を望む。櫓と大天守と小天守が連結して建物が1周します。この形式が連立式天守と呼ばれ、姫路城、松山城と共に「三大連立式天守」といわれています。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-22)

大天守1階のイベント展示
大天守1階のイベント展示

2024年1月13日~2月12日の期間に「Wakayama Winter Fusion 天野喜孝×TOKYO GIRLS COLLECTION」という伝統とトレンドが見事に融合する特別イベントが開催されており、天野喜孝氏のアート作品「CANDY GIRL」が城内に展示されていました。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-21)

大天守
大天守

天守郭の東に大天守があります。破風には青海波の模様が施されており、銅板で造られているため長年の風雨で錆びて青緑色になっています。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-21)

二の門櫓(天守郭側)
二の門櫓(天守郭側)

二の門(楠門)脇にある櫓で、天守郭の南西を守っています。

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のりさん が  和歌山城(和歌山県和歌山市) の写真をアップしました(2024-02-21)

二の門(楠門)
二の門(楠門)

総楠造りであったため楠門と称される天守郭の入口で、弘化3年(1846)に落雷で焼失しましたが、嘉永3年(1850)に再建され、戦前は国宝でしたが和歌山大空襲で焼失し、現在の門は昭和33年(1958)に楠などを使って再建されたものだそうです。

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今日のレビュー

3D江戸城探訪 (DIA Collection)

江戸城の散策を前提にしている為、櫓と門のガイドが主な内容。
櫓、門の掲載量が豊富で現況とCG復元の両方が掲載されている。
巻末のQRコードリストを持ち出して江戸城を散策すれば、現地でスマホから復元CGを見ることができ理解も深まるかなと思います。

たなとすさん)

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