のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-11)

二の丸石垣
二の丸石垣

二の丸の石垣も高石垣となっていて、出丸と同様に高いところから攻撃できるようになっています。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-11)

出丸跡
出丸跡

二の丸の下にある曲輪で、塀が築かれています。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-11)

出丸虎口の石垣
出丸虎口の石垣

石垣で出丸の虎口が形成されていて、敵を寄せ付けないようになっています。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-11)

出丸石垣
出丸石垣

山道ルートは本丸の大手門経由で天守を目指すルートとなるため、当時の石垣が残っており、山城の雰囲気を楽しめます。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

錦帯橋と天守
錦帯橋と天守

錦川に掛かる江戸時代に釘を一本も使わずに造られた5連のアーチ橋で、当時の橋は昭和25年(1950)の台風で流されてしまいましたが、当時の工法で復元されています。後ろの山に天守が再建され、錦帯橋と合わせて唯一無二の名勝となっています。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

山頂駅からの眺望
山頂駅からの眺望

ロープウェイ山頂駅より岩国城下町を望む。右手前の橋が錦帯橋になります。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

からくり時計
からくり時計

ロープウェイの山頂駅前の広場にあります。毎日9時10分から15分毎にメロディを奏でます。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

実験橋
実験橋

木造の錦帯橋を長持ちさせるため、木を腐らせないよう将来の橋板加工に生かす実験をしている橋だそうです。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

吉川広家公像
吉川広家公像

初代岩国領主、吉川広家公は戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将で、槍の名手として豊臣秀吉から「日本槍柱七本」の1人として称賛されたそうです。

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のりさん が  岩国城(山口県岩国市) の写真をアップしました(2024-11-10)

錦雲閣
錦雲閣

明治18年(1885)に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、吉川家歴代を祀る吉香神社内の絵馬堂として建てられてものだそうです。

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のりさん が  徳山城(山口県周南市) の写真をアップしました(2024-11-09)

徳山藩館邸跡
徳山藩館邸跡

周南市文化会館にあります。現在は大名庭園の跡が残っています。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-09)

西門
西門

発掘調査で館跡西辺で小規模な門跡が発見され、失われた館跡の一部として復元可能と判断されたことから、当時の京都の風景が描かれた「洛中洛外図屏風」などを参考に平成17年(2005)に復元されたそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-09)

石組溝
石組溝

館跡の西辺の調査で石組の溝が検出され、溝の底には水の流れた痕跡があることから排水溝と推定されているそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-09)

池泉庭園
池泉庭園

南東部に位置している館跡最大の庭園で、中央部に池がある池泉式庭園で1400年代末に造られ、1500年代中頃まで使われていたそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-09)

石組井戸
石組井戸

池泉庭園と同時期に造られ、1500年代前半に埋め戻されたそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-08)

龍福寺本堂
龍福寺本堂

明治16年(1883)に、文明11年(1479)に建立された興福寺の釈迦堂を移築したもので、移築後約100年が経ったことから、平成17年(2006)から約6年かけて本堂の改修工事が行われたそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-08)

大内義隆辞世の句碑
大内義隆辞世の句碑

天文20年(1551)、大内義隆は陶晴賢の謀叛により、長門の大寧寺に逃れた際に、大寧寺住職異雪慶殊和尚の弟子となり、「討つ人も 討たるる人も 諸ともに 如露亦如電作如是観」の辞世の句を詠んで自刃したそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-08)

大内義隆卿主従之供養塔
大内義隆卿主従之供養塔

平成12年(2000)、龍福寺の開基大内義隆の450回大遠忌の際に、供養塔が建立されたそうです。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-08)

宝現零社
宝現零社

大内氏の祖・琳聖太子から31代の大内義隆に至る大内氏歴代当主の神霊を祭り、龍福寺の鎮守として建立されています。

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のりさん が  大内氏館(山口県山口市) の写真をアップしました(2024-11-08)

豊後岩
豊後岩

大内氏は来客をもてなすため、邸前に壮麗な築庭をする際に、豊後から岩を運んできたものだそうです。

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今日のレビュー

涅槃 上

戦国の梟雄と謳われた宇喜多直家の生涯を描いた歴史小説です。

官能小説かと思わせるくらいの性的な描写があるにも関わらず、全体的に低俗な印象は無く、人間味溢れる物語でした。

備前、備中のお城がよく登場し、下巻では三国一の美女おふくさんもしっかり登場します。

現在のJR岡山駅界隈の発展の礎を築いた人物であると改めて認識しました。

デュラけんさん)

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