のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

本丸跡
本丸跡

岡城中心部の最も重要な曲輪であり、中央部には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

月見櫓跡
月見櫓跡

二の丸の北端に位置しており、ほぼ方形の二階櫓で、上階に廻縁が巡り、屋根は檜皮葺、四方の隅棟が屋根中央に集まり頂部に露盤と宝珠が載る宝形造だったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

滝廉太郎像
滝廉太郎像

この銅像は少年時代に廉太郎と同じ学校に通っていた彫刻家の朝倉文夫により、昭和25年(1950)に作られました。廉太郎は岡城をモチーフに名曲「荒城の月」を作曲したといわれています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

二の丸跡
二の丸跡

当時は月見櫓や御風呂屋など特徴的な機能を持つ建物が並んでおり、来客の歓迎や藩主の愉しみの空間として利用されたそうです。現在は来城者のための休憩所が設けられています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

空井戸跡
空井戸跡

二の丸入口付近にあります。当初から水は無く、抜け道だったり財宝の隠し場所だったという伝説が残っています。江戸時代には深さが60mほどあったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

御門櫓跡
御門櫓跡

本丸への出入口となる石段は、二の丸に面した北面に設けられています。かつては石段の上に御門櫓があったそうで、現在でも礎石が残っています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-29)

本丸西面石垣
本丸西面石垣

三の丸より撮影。南西隅(右側)に天守台用の御三階櫓、北西隅(左側)に小三階櫓が建てられていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

三の丸跡
三の丸跡

三の丸の中央には御殿が設けられ、他藩の使者や家臣が藩主と対面する場所として使われていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

御三階櫓台石垣
御三階櫓台石垣

明和6年~8年(1769~1771)頃に風雨と地震により倒壊したものを、安栄3年(1774)に積み直されており、隅部は算木積みになっています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

太鼓櫓門跡
太鼓櫓門跡

西中仕切の先にあります。かつてはこの石垣の上に渡櫓門が建っていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

三の丸高石垣
三の丸高石垣

西中仕切跡より撮影。岡城一の高石垣で、その高さは20m以上あるそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

西中仕切食い違い虎口
西中仕切食い違い虎口

西中仕切は大手門方面に開かれ、食い違い虎口となっています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

西中仕切跡
西中仕切跡

西中仕切りの石垣は、切り込み接ぎの見栄えの良いものとなっています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

城代屋敷跡
城代屋敷跡

建物は残っていませんが、城代(参勤交代時の留守番)の屋敷があったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

古大手門跡
古大手門跡

現在は石垣のみ残っており、南東方向に開き、本丸と外部をつなぐ重要な門だったそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

朱印倉跡スロープ
朱印倉跡スロープ

朱印倉跡に続く階段は珍しい構造で、石垣造りの半円状の緩く曲げられたスロープとなっています。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-28)

中川但見屋敷跡
中川但見屋敷跡

中川秀成が岡城改修着手から本丸完成までの間、仮屋敷としていたそうです。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-27)

中川覚左衛門屋敷跡からの眺望
中川覚左衛門屋敷跡からの眺望

中川覚左衛門屋敷跡より、城代屋敷跡方面を望む。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-27)

中川覚左衛門屋敷跡の埋門跡
中川覚左衛門屋敷跡の埋門跡

中川覚左衛門屋敷跡の入口付近の石垣にあり、ここからも中川覚左衛門屋敷に入れたと思われます。

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のりさん が  岡城(大分県竹田市) の写真をアップしました(2024-04-27)

中川覚左衛門屋敷跡
中川覚左衛門屋敷跡

岡藩家老中川覚左衛門家は茶道で名高い古田織部の子孫で、藩主中川家に代々仕え中川の性を与えられ延享2年(1745)にこの屋敷跡に移ったそうです。

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今日のレビュー

凸凹地図で読み解く 日本の城 ~この地にこの城を建てた理由(ルビ:わけ) (ビジュアルはてなマップ)

ブラタモリ好きにはたまらない一冊である。見やすい陰影段彩地図で地形、高低差が一目瞭然である。特に見て楽しいのは平山城。
 平山城の定義通りではあるが、緑色の平地に浮かぶ茶色の高地が、すべて城域なのか、城の外にもつながっているのかがよくわかる。
 それぞれに「地図職人の眼」という400字程の文章で、そこが台地、段丘、あるいは地山か、また、その岩質や地形の成立過程まで解説されている。中でも小諸城の解説では長年の疑問が氷解した。

幸丸さん)

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