のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

天守からの眺望(南側)
天守からの眺望(南側)

天守より中津市街を望む。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

中津大神宮
中津大神宮

中津城趾の公園地内にある神社で、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉斎し、「豊前の国のお伊勢様」として親しまれています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

扇形石垣跡
扇形石垣跡

椎木門を北へ折れてくぐると虎口跡があり、扇形に弧を描く石垣があります。かつては虎口が2つあったそうですが、現在は虎口の1つが残っています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

椎木門跡
椎木門跡

本丸南東隅に位置する鳥居がある入口で、入って西側は塀で塞がれ、北側に折れてくぐる枡形虎口の構造だったそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

薬研堀
薬研堀

薬研とは漢方薬などを、底がV字になった船形の器具で車輪を使い粉にひく道具で、薬研の断面に似て底がV字になった堀を「薬研堀」と呼ばれているそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

天守と二重櫓
天守と二重櫓

本丸北東部の二の丸より天守と二重櫓を望む。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

黒田の石垣と細川の石垣
黒田の石垣と細川の石垣

天守と中津川の土手との間にある石垣で、中央のY字を境に右側が黒田時代の古い石垣で、左が細川時代の新しい石垣となっています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

官兵衛と光姫の像
官兵衛と光姫の像

中津川の土手の近くにある黒田如水(官兵衛)と正室・光(てる)姫の像で、中津川の方向を向いています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

本丸西側の石垣
本丸西側の石垣

中津川沿いの石垣には「唐原山城(唐原神籠石)」から持ち出されたとされる四角く加工された石が多用されています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

鉄門跡
鉄門跡

石垣の写真中央部で、現在は石で塞がれていますが、トンネル状になっていて、門の中の階段を登ると本丸内に通じていたそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-04)

中津神社
中津神社

幕末に参勤交代や人質などの政策が緩められた際に、江戸から戻ってきた姫君たちを住まわせるために建てられた「松の御殿」の跡地に建てられたそうです。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

角牟礼神社
角牟礼神社

本丸ヘ向かう途中にある神社で、不動尊が祀られているそうです。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

展望所からの眺望
展望所からの眺望

展望所より城下町を望む。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

本丸跡
本丸跡

角埋山の山頂576m地点で、周囲には土塁が巡らされています。石垣解体修理工事のための石が置かれており、立入禁止となっています。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

切岸
切岸

西門跡から本丸ヘ向かう途中にあり、この上に本丸跡があります。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

西門跡
西門跡

二の丸西曲輪の北側にあり、平成の発掘調査で櫓門の礎石が発見されたそうです。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸西曲輪
二の丸西曲輪

角牟礼城で一番広い曲輪で、建物の礎石が見つかっており、ここが主曲輪だったそうです。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸南虎口石垣
二の丸南虎口石垣

東へと80mに渡って築かれており、二の丸内には簡単に侵入出来ないようになっています。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

二の丸西曲輪石垣
二の丸西曲輪石垣

大手門を破って攻めてきた敵を迎え撃つための防御線で、二の丸南虎口の石垣に比べると石が小さいです。

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のりさん が  角牟礼城(大分県玖珠町) の写真をアップしました(2024-05-03)

大手門跡
大手門跡

平成5年(1993)の発掘調査で、二の丸南に櫓門の礎石が発見されたそうです。

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今日のレビュー

凸凹地図で読み解く 日本の城 ~この地にこの城を建てた理由(ルビ:わけ) (ビジュアルはてなマップ)

ブラタモリ好きにはたまらない一冊である。見やすい陰影段彩地図で地形、高低差が一目瞭然である。特に見て楽しいのは平山城。
 平山城の定義通りではあるが、緑色の平地に浮かぶ茶色の高地が、すべて城域なのか、城の外にもつながっているのかがよくわかる。
 それぞれに「地図職人の眼」という400字程の文章で、そこが台地、段丘、あるいは地山か、また、その岩質や地形の成立過程まで解説されている。中でも小諸城の解説では長年の疑問が氷解した。

幸丸さん)

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