のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

甑用大釜
甑用大釜

大手門の先にある巨大な釜。近くにある信貴本家酒造より寄贈されたもので、酒造用として使われていたそうです。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

大手櫓門
大手櫓門

本丸の入口は土橋が築かれており、奥には再建された櫓門が建てられています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

二の丸広場観光交流センター
二の丸広場観光交流センター

岸和田市の古墳の紹介、火縄銃の展示、岸和田煉瓦(キシレン)のレンガの展示、観光施設のパンフレットが置かれています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

心技館
心技館

昭和36年(1961)、二の丸に建てられた市民道場。老朽化と耐震性の問題で、令和6年度(2024)末に取り壊しが決定したそうです。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

二の丸跡
二の丸跡

本丸の北西に二の丸があります。当時は二の丸御殿が建てられていたそうで、現在は二の丸広場となっています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

伏見櫓跡
伏見櫓跡

二の丸の北側にあり、元和9年(1623)に伏見城から移築された櫓があったそうです。伏見城から移築された櫓は福山城に現存しており、岸和田城が戦略上重要な場所であったことがうかがえます。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

二の丸多聞櫓
二の丸多聞櫓

平成4年(1992)、二の丸跡に復元された櫓で、中はトイレになっています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

本丸南側の石垣
本丸南側の石垣

本丸の石垣は神於山周辺や瀬戸内海で採れた和泉砂岩と花崗岩が使用されています。折れが多用されていて、厳重な防備となっています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

本丸東側の水堀と犬走りと石垣
本丸東側の水堀と犬走りと石垣

本丸の四方には幅が30m程の水堀が残されており、二の丸より広いものとなっています。本丸石垣が崩れないように犬走りが設けられています。

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のりさん が  岸和田城(大阪府岸和田市) の写真をアップしました(2024-05-07)

二重櫓と多聞櫓
二重櫓と多聞櫓

水堀越しに石垣の上にそびえる二重櫓と多聞櫓は壮観で見応えがあります。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

扇城神社
扇城神社

扇城神社には黒田氏に殺された宇都宮氏の従臣が祀られています。城井神社と同じく宝永2年に小笠原長円が宇都宮氏の従臣を稲荷大明神として祀ったことが始まりだそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

城井神社
城井神社

中津城で黒田氏に謀殺された宇都宮鎮房は、この地に埋葬されました。宝永2年(1705)に中津藩主小笠原長円が宇都宮鎮房を「城井大権現」として、城の守護神として祀るようになったそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

西南之役中津隊百年祭記念碑
西南之役中津隊百年祭記念碑

石碑には、隊長増田宗太郎、副隊長梅谷安良両先生が書かれた字がそれぞれ自筆のまま拡大して石に刻まれています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

西南役中津隊之碑
西南役中津隊之碑

書は旧中津藩主奥平昌恭。中津隊は、西南戦争に西郷軍側に呼応した不平士族の部隊で、明治10年(1877)現在の大分県中津市において増田宋太郎を中心とした旧中津藩士によって結成され、中津にて蜂起し、中津城の御殿に放火し焼失させたそうです。

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のりさん がコレクション「 中津城 登城記念符 」にコメントしました(2024-05-06)

中津城の天守内で購入。上の印の位置が、かなり右に寄っています。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

天守からの眺望(東側)
天守からの眺望(東側)

天守より中津川と周防灘を望む。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

奥平神社
奥平神社

中津城公園上段に鎮座している神社で、武勇に優れ、群雄割拠の中で徳川を助け覇業を成し遂げた奥平三柱が祀られているそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

三斎池
三斎池

細川三斎(忠興)は、三口の井堰から上水道を城内に引き込み、防火用水としても使用され、池は三斎にちなんで三斎池とよばれており、上水道は「お水道」とよばれ、城下町内を発掘すると、お水道の施設が発見されたそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

独立自尊の碑
独立自尊の碑

福澤諭吉の偉業を称え、明治37年(1904)7月8日、福澤家のご意思に沿って中津城公園に記念碑を建立されました。当時は公園地中央にありましたが、昭和7年(1932)10月18日に、現在の位置に移設されたそうです。

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のりさん が  中津城(大分県中津市) の写真をアップしました(2024-05-06)

高輪地蔵
高輪地蔵

東京の高輪南町の奥平藩の下屋敷の隣藩との境界争いの際に、正直に証言した隣藩の家臣が上司達に死罪にされ、奥平の屋敷内に亡骸を投げ入れました。これに心を痛めた奥平忠昌公がその隣藩の家臣を地蔵菩薩として地蔵堂に納め、終生お参りをしたそうです。

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今日のレビュー

凸凹地図で読み解く 日本の城 ~この地にこの城を建てた理由(ルビ:わけ) (ビジュアルはてなマップ)

ブラタモリ好きにはたまらない一冊である。見やすい陰影段彩地図で地形、高低差が一目瞭然である。特に見て楽しいのは平山城。
 平山城の定義通りではあるが、緑色の平地に浮かぶ茶色の高地が、すべて城域なのか、城の外にもつながっているのかがよくわかる。
 それぞれに「地図職人の眼」という400字程の文章で、そこが台地、段丘、あるいは地山か、また、その岩質や地形の成立過程まで解説されている。中でも小諸城の解説では長年の疑問が氷解した。

幸丸さん)

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