のり

のり(のり)さん 家老 サポーター   フォロー

兵庫県丹波市在住。
御城印がきっかけで攻城団に出会いました。城を巡っていくうちに御城印だけでなく、城の遺構や歴史に興味を持つようになり、後に訪問する団員さんたちに少しでも情報提供できるように、攻城記録やアップした写真に必ずコメントするように心がけています。

のりさんのタイムライン

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

鐘櫓
鐘櫓

2階建てで、元は鐘と太鼓を吊り、1時(現代の2時間)の鐘と、半時(現代の1時間)の太鼓を打っていましたが、現在は鐘のみで1日に4回鐘をついているそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

筋鉄御門
筋鉄御門

本丸正面にそびえる正門で、名前の由来は柱の角と扉に数十本の筋鉄に、鉄製の鋲で打ち付けていることからきているそうです。国の重要文化財。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

御湯殿(北側)
御湯殿(北側)

本丸南側に建てられた藩主が使用するための風呂場で、内部は3間半、4間半の物見の間と、3間半、3間半のお風呂に分かれているそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

御湯殿(南側)
御湯殿(南側)

上段の間は藩主が湯上りに涼を取っていたといわれ、城下を眺望出来るように高欄を廻らせ、石垣上にせり出しています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

月見櫓
月見櫓

2層2階の櫓で、明治12年(1879)頃に廃城令のあおりを受けて取り壊されましたが、昭和41年(1966)に天守と共に復元されたそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

天守
天守

5層6階、2層3階の小天守を接合する層塔型複合天守で、国宝に指定されていましたが、福山空襲で焼失。現在の天守は昭和41年(1966)に市内企業や市民からの寄付金で再建されたそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

鏡櫓
鏡櫓

本丸東側に位置する2階建ての櫓で、明治初期に取り壊されたが、昭和48年(1973)に復元されたそうです。現在は文書館として福山藩の古文書が展示されています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-06)

福寿会館
福寿会館

海産物商で財を成した安部和助氏が、昭和初期に建造したもので、建物は本館・西茶室・南茶室・西蔵・東蔵・洋館があります。国の登録有形文化財。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

東坂三階櫓石垣
東坂三階櫓石垣

東側三階櫓跡を支えている石垣で、鬼門櫓跡と多聞櫓跡の石垣と繋がっています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

二の丸東側石垣
二の丸東側石垣

石垣の前面には土手状の高まりがありますが、自然地形の名残で、令和3年(2021)の発掘調査で石垣基部の状況が確認されたそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

東上り楯門跡
東上り楯門跡

三の丸から東坂を上って北に曲がるとあります。厳重な守りの構造である升形となっており、二の丸と繋がっています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

鹿角菜櫓跡
鹿角菜櫓跡

東坂三階櫓跡の西側にあり、神辺城から移したと伝わる二重の櫓があったそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

天守(東側)
天守(東側)

二の丸より撮影。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

東坂三階櫓跡と多聞櫓跡
東坂三階櫓跡と多聞櫓跡

二の丸東側のほぼ中央に三重の櫓が建てられていたそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

水野勝成之像
水野勝成之像

二の丸にあります。水野勝成は徳川家康のいとこにあたる人物で、元和5年(1619)に備後十万石の藩主となり、初代福山藩主となったそうです。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

鬼門櫓跡
鬼門櫓跡

二の丸帯上段帯曲輪にあった三重の櫓で、名称の通り北東の方角に位置しています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

旧天守の礎石
旧天守の礎石

空襲で焼失した旧天守の柱を支えていた礎石が、天守台穴蔵に残されており、昭和41年(1966)の天守再建の際に天守北側に移設されています。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

福寿会館 西門
福寿会館 西門

三蔵稲荷神社から天守に向かう途中にあり、福寿会館の西側の入口になります。

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のりさん が  福山城(広島県福山市) の写真をアップしました(2024-08-05)

三蔵稲荷神社
三蔵稲荷神社

元和5年(1619)、水野勝成公が福山に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神として祀った神社だそうです。

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のりさん が  三原城(広島県三原市) の写真をアップしました(2024-08-04)

中門跡
中門跡

三原駅からほど近いペアシティ西館の西側出入り口のところにあります。門の形式は櫓門だったそうです。

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今日のレビュー

一冊でわかる戦国時代 (世界のなかの日本の歴史)

攻城団テレビ「戦国時代のはじまりと終わりはいつか?」の中で団長が紹介されていたので読んでみることにしました。本書では1467年室町幕府に「応仁の乱」という形で押し寄せた前後を戦国時代の始まりとして、江戸幕府を開いた徳川家康が世を去る1616年までの約150年間に付いて、守護大名、守護代、国人などが戦国大名となっていく課程、織田信長の名が世に出てからは、三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)のエピソードが解りやすく書かれています。また北条氏がらみで関東近辺の地侍についての記載があり、東京在住の私としては地域の歴史を知る上での参考になりました。と言うことで、戦国時代を知りたい方の入門編としてお勧めの一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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